ピロートーク【後編】





 ブロンズステージにある銀行から現金を奪った強盗犯がシュテルン湾に停泊中の小型遊覧船に乗り込み、立てこもってから二時間。  トランスポーター内のラウンジに設置されたソファに腰を落ち着けている虎徹は、じりじりとした焦燥感に苛まれていた。  向かいに座るバーナビーはそんな虎徹を一瞥し、再びモニターへと視線を戻す。大きなモニターには、膠着状態の続く現場が映し出されていた。  アニエスからの一報を経て、トランスポーターに乗り込んだ虎徹とバーナビーは現場に着いて間もなく、待機を命じられていた。 『船には三人の犯人と、船を所有している会社の乗組員二人の計五人がいると聞いているわ。犯人にNEXTはいないけど、それぞれが  銃を携帯し人質を盾にして船に篭城してる。今現在は警察の方で犯人と交渉していて、難航している状態よ』  柳眉を寄せたアニエスの表情は言葉通り思わしくない現状を如実に伝えていた。  かなりの興奮状態にある犯人達は警察の交渉を居丈高な様子で跳ね除けるだけでなく、無線の向こうで人質である乗組員を脅しているという。  一刻も早い人質の解放を求める警察側と、解放を拒否しとにかく遠くの海へと逃げたい彼らの要求は強固なもので、食い違ったまま時間だけが過ぎてゆく。  女史から伝えられた作戦というのが、まずは警察の方で犯人と交渉し、決裂した際にはタイガー&バーナビーの二人で  突入という、何とも荒っぽいものだった。 『あなた達のハンドレットパワーにかかってるわ。能力発動時のスピードやパワーは誰にも敵わないから、現場を二人に頼んだの。  人数が多いと逆に犯人を刺激しかねないからね。万が一の場合に備えて他のヒーロー達には後方支援に回って貰うから、  あなた達はあなた達のやるべき事だけに集中して』  ヒーロースーツを着用した二人を見つめたアニエスが、不意に黙り込む。 『……ねえ、あなた達』 「なんだよ」 『これは遊びじゃないわ。視聴率だけじゃなくて、人命も掛かってる。あなた達がどうなろうと知ったこっちゃないけど、二人のせいで  最悪の事態だって起こりかねない……判ってるわよね?』  こっちにも波及していたか……情けなさに歯止めなく、虎徹は内心で溜息をついた。  ちらりと向かいの男を見やれば表面上では粛々と女史の言葉を受け止めているものの、グリーンの瞳には不服そうな色が滲んでいる。 「判ってます。仕事ですから」  視線を上げたバーナビーに射すくめられ、目線で頷いた。  また連絡する、その言葉を最後に通信が切れる。 「おじさん」 「何か久々に聞いたな、それ」  冗談はやめろと言わんばかりに睨むバーナビーに、虎徹は表情を引き締める。 「仕事だからな」 「あなたに言われるまでもない。これ以上無様な姿は見せられませんから」  真正面から受け止める真摯な視線はあの晩を髣髴とさせ、場にそぐわぬ胸の痛みが走った。  バーナビーと話すのも視線を交わすのも久々だった。バディを組み始めてからは喧嘩の毎日だったから、もう長い間顔を  合わせていないような気すらしてしまう。ひたすらに腹立たしい日々も無くなって初めて、喪失感を覚えるような物で  あったことに気が付いたのは、つい最近だった。生まれも生き方も全て違う他人という存在を知るうえで喧嘩という手段は、  不器用な二人には案外ピッタリのコミュニケーションだったのかもしれない。  渦中に身を置いている時には、むしろ忌避したい出来事であったのに。 (それなりに生きてるってのに、何をしてたんだか……)  身体にはまだバーナビーの感触が残っている。ラインを辿り擽る淫猥な指先、耳の奥で燻る甘い声、目を閉じればすぐさま呼び起こせる  海を孕んだグリーンの瞳……短い時間では到底拭い去れない接触がいっそ夢であれば簡単だった。  求めるがままに触れて見つめて腕に抱いて、抱かれていた。  柔らかな想いに触れたばかりに、複雑に絡んでしまった感情は最早手に負えない。  こんなにも近くで見詰め合っているのに、喧嘩していた時よりもバーナビーが遠い存在のように思える。  しかし、今は個人的な感傷に気を取られている場合ではない。モニターはひたすら緊迫した現場を映し、時を争う事態を深刻に伝えている。  湾岸から離れた海上で停泊している船と、緊張を貼り付けたレポーターの交互に入れ替わる映像を見つめながら、意識が研ぎ澄まされていくのを感じる。  虎徹は静かにバーナビーを見た。今度は過ちを犯さない。虎徹の無言の決意を汲み取ったのか、バーナビーも一層引き締めた表情で  頷いて、モニターへ視線を移した。グリーンの瞳に満ちる静かな水面に、同様の意思を浮かべて。  きっと今回は上手くいく――喧しい現場をモニター越しに確認しながら、虎徹が手応えを感じた瞬間。 「!?」  耳をつんざく様な盛大な爆発音が辺りに轟いた。  すぐさまバーナビーと目配せをし、アニエスに連絡を取りながらトランスポーターから飛び出した。 『すぐ船に向かって! 交渉決裂よりも、最悪な事態が起こったわ!』  パニックとなっている現場に到着した虎徹の目にすぐさま飛び込んできたのは、もうもうと立ち上る黒煙だった。  岸から離れた海上で停泊中の船が炎上していた。 『一向に要望が通らない犯人が逆上して発砲した銃がエンジンを貫通して爆発を起こしたの。消火は既に頼んであるから救助が先決よ、GO!』  アニエスの合図で同時に能力を発動させる。身体が青の閃光を放ち、眩い軌跡を残しながら二人は岸から天高く飛び上がった。  びゅっと奔る風に身を躍らせ、隣をゆくバーナビーを確かめた虎徹は勢いをそのままに船を目指す。  遊覧船は燃え上がる炎に舐められ船影を曖昧にしている。湾岸から離れた場所で停泊していただけに岸まで爆発の影響がないのは幸いだが、  下手に飛び込むのはこちらも危険だろう。辛うじて炎の切っ先が届かない甲板――黒い衣装に身を包んだ二人は強盗犯だろう、  必死の形相で救助を求める男達のいる場所に狙いを定めた。 「バニー、二人を頼む! 俺は中を探す!」 「判りました!」  着地の衝撃を受け止めきれずにぐらんと揺れた船の危うさに舌打ちしながら、後に続いたバーナビーに彼らを任せて虎徹は  開きっぱなしのドアから船内へ押し入った。助かったと悲喜の声を上げる犯人達の声と、彼らを抱え上げたバーナビーが再び飛び上がったのを  またも揺れる床で知り、ぐらつく船内でバランスを取りながら事前にアニエスから入手した内部の地図を表示させる。  シュテルン湾を周航している遊覧船はコンパクトな見た目以上に内部は広く、ヒーロースーツを着ていても余裕があった。  甲板から続くドアを潜った先には椅子の整列した客室、その奥にある右の扉の先には操縦室が、左のドアには船底へと続く階段がある。  黒々とした煙が渦巻く船内は視界最悪で、自らの視界で場所を特定するのは困難だった。 「おい、誰かいないか!」  轟々と燃え盛る炎に負けぬ音量で虎徹は叫びながら前へ突き進んでゆく。先に得た情報によれば残るは犯人一人に乗組員の二人。  熱波の影響でじわじわと上がる温度のせいで額からとめどなく汗が流れ落ちる。生身であればそれ以上の苦痛と、煙のせいで  呼吸もままならないだろう。一刻を争う事態につられそうになる気持ちを堪えて、煙の中で人影を探す。 「おじさん!」  背後から掛けられた声に振り向けば、すぐ側にバーナビーがいた。 「僕は下の船室へ向かいますから、あなたは操縦室を頼みます」  同じように地図を展開し確認したバーナビーに頷き、虎徹を客室を検めてから右にある扉に手をかけた。  途端、吹き付ける凄まじい熱風をクロスした両腕で防ぎ、狭まった通路を通り抜けて操縦室へ向かった。奥へ進むにつれ濃密な黒煙で満ち、  時折赤い触手が虎徹のスーツを撫でていく。最早視界だけで船内を確認するのは不可能だった。 (あと二分か……)  刻一刻と迫るタイムリミットに否応無く焦ってしまう。  熱探知システムを呼び出しぐるり見渡せば、幸い赤一色の世界の中で人間と思わしき熱源の塊を見ることはなかった。 『おじさん、見つかりました!』  バーナビーの言葉尻に被さり、発砲音が轟く。  舌打ちと同時にぶつりと切れた通信に虎徹は考えるよりも先に駆け出した。来た道を戻り、バーナビーが潜ったドアへ向かう。  熱と煙の充満した船底へと繋がる階段を転げ落ちるように下った。 「バニー!!」 「もう一匹ヒーローがいたのかよ! 俺は死んだってお前等に捕まるわけにはいかねーんだよ!!」  黒煙で燻る視界、一瞬の切れ目にバーナビーの背中と怒声のありかを見つける。  狂乱の域に達しているのか、目を血走らせた犯人の男が怒鳴り手当たり次第に発砲していく。  乱雑にぶれる銃口から四方へ飛び散る鉛玉を避けながら隙を伺っていた虎徹は、その犯人の背後で横たわっている人物を見つけた。  船の乗組員だろう二人組みの男はロープで縛られてはいるものの、細かく動く姿に怪我もなく無事であることが見てとれた。  船内に残る人物はこれで全員だ。 「おい、この船はじき爆発するぞ!! 早く来い!!」 「てめえらネクストどもに救われるくらいなら、死んだ方がマシなんだよ!」  死に物狂いだろう、自分の身に構わずめちゃくちゃに発砲していた銃口がひたりと虎徹を捕らえる。 「おじさん!!」  トリガーに指先がかかる寸前、銃と虎徹の間に赤い閃光が過ぎった。   旋風のような閃きが煙をなぎ払いクリアになる視界の中、甲高い発砲音と共に幾度も打ち込まれる凶弾を物ともせずに飛び掛る姿が  まるでスローモーションのように映った。素早い蹴りの一突きで犯人の手にしていた銃が空へ舞い、バーナビーの白い踵が  地に着いた瞬間、虎徹は地面を蹴った。  体勢を崩しても尚、懐に手を入れた犯人の右手には拳銃が握られていた。碌に踏ん張ることも出来ないまま、バーナビーのフェイスに  銃口を定めた所で、犯人の腹目掛けて拳を打ち込んだ。頭上で漏れる呻き声と共に拳を引いて、そのまま気を失った男を受け止める。 「乗組員を!」  ぐったりとした重みを抱え上げながら振り返れば、既にバーナビーが乗組員の戒めを解き両腕に抱えていた。 「逃げましょう、これ以上は船が持たない!」  涙の跡が残る不安げな眼差しを最後に気を失った乗組員に力強く頷いて、虎徹とバーナビーは客室へと繋がる階段へ向かって走った。  バーナビーの言う通り、ほうほうで上がる炎と黒煙は突入時に比べて強くなっていた。まだ五分経っていないというのに、  回りの早いそれらを出来る限り迂回し甲板へ這い出た頃には沈没の兆しがあった。二次災害を避けてか、空を行き交う中継ヘリも  要請に応じた消火艇も遊覧船より遠くに位置し、現状は想像以上のスピードで悪化している事を知る。 「俺達も早く脱出しよう、バニー!」   能力も一分切っている。腕にかかる命の重みを抱き締め、腰を落した虎徹の耳に不意に声が届いた。 「おじさん?!」 「子供がいる!!」  ちょうどこちらへ向かってきたスカイハイに連携を求め、犯人を預けた虎徹はその足で再び船内へ戻った。  一面火の海と化した様相に二の足を踏みながらも意識を耳へ集中し――客室の入り口から左奥、消火栓と書かれた赤いボックスを突き止める。  虎徹を飲み込もうとする炎の中を突っ走り、力任せに扉をこじ開けると同時に、泣きじゃくる少年が胸に飛び込んできた。 「気付かなくて悪かった。もう大丈夫だからな!」  パニックに陥っているのだろう、泣き叫ぶ男の子を少しでも安心させようと軽く背を叩き、そのまま強く抱き締めた。  ぐにゃりと大きく揺れる船内でどうにか踏ん張り、撓る炎から庇うように前屈みで入り口を目指した。  直後、突き上げるような衝撃と爆音が虎徹を襲った。熱を纏う爆風に上下左右の感覚を奪われながらもけして腕だけは解かず、  少年を守るように身体を丸めた虎徹は目前に迫る炎の壁に活路を見出そうと、けして瞼を閉じることはなかった。  更なる爆発が起こったのだと知覚した時には湾岸のアスファルトに尻を着いていて、肩に手を置き調子を伺うスカイハイの  心配そうな問い掛けで彼に救われた事を知る。胸に硬く抱いていた子供は虎徹の右腕に絡んではただただ泣きじゃくり、警察官が必死に宥めていた。  全てを理解しても、腑に落ちないことがあった。  どうやって船から脱出し、自分も子供も無傷でいられたのか。たった一秒の記憶が、すっぱりと抜け落ちている。  何かが、光のような速さの何かが触れて――呼んだのだ。 「バニー……?」  無意識に呟いた虎徹は、天高く燃え盛る火柱へ目をやった。  周囲を煌々と照らす熱源にふらふらと手を伸ばしてはじめて、自らの能力が切れている事に気がついた。  失われた一瞬。自分を取り囲む世界の流れが常を取り戻した一瞬は、同じ能力を持つ男にとっても同様ではなかったか。  けたたましいサイレンとヘリのモーター、人々の嘆きと喚声――騒がしい現場で虎徹はひとり、音の無い世界にいた。                                                                                     ⇒続き

 

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