目隠遊戯【中編】





 ベッドに預けた剥き出しの背中がじっとりと汗ばんでいる。心地悪さに身じろぎしながら持ち上げた手は無意識に近い。  ブラインドの隙間から零れる街灯の明かりが掌の行き先を容赦なく露にし、少しばかりの躊躇いが生まれる。  肌に落ちる影が頼りなく左右に揺れ、幾度か形を変えて――熱に触れた。出張った首元を引っ掻き、張り詰めた胸元の狭間を擽り、頂を飾る突起を  摘んでは硬い腹筋の隆起をひとつずつ辿る。触れた先のどこにも冷えた肌がない、驚くほど熱い身体だった。 「ちょっとあいつの事を考えただけなのに……」  ねっとりと撫でている臍の向こう、唯一布に覆われた下肢も昂ぶりを露にしている。性器の形がくっきりと判る膨らみを前にして虎徹は苦笑した。  バーナビーを意識するまでは年齢相応の性欲だったのに、彼を想うだけでこれだ。呆気なさ過ぎて笑うしかない。  シャワーを浴びて落ち着ける所はとうに過ぎている。虎徹はゆっくりと瞼を閉じた。  バニーと、自分だけが使う愛称で呼びかける。バニー、バニー、バーナビー。幾度も呼んで、闇の中で彼の姿を探した。  空気がふるえる。奥からのっそりと流れてきた白いもやが、次第に見慣れた形を成してゆく。  バニー、呼ぶ声と同時に伸びてきた手が、虎徹の手の甲にそっと重なった。 『……虎徹さん、僕を見て』  妄想のなかで瞼を押し上げれば、目と鼻の先にバーナビーがいた。  柔らかく揺れる前髪の合間で、眼鏡のないグリーンの瞳が隠し切れない欲情を見せ付けている。まばたきをする度、淫靡な光を放つ瞳から  目が逸らせなかった。行き交う視線が熱を増すにつれ互いの唇がいやしい呼気で湿り気を帯びて、今、そこが虎徹を誘惑するように震えた。  虎徹さん、あまやかな呼びかけに接触の切っ掛けを見出して、白い指を強く握り締めた。すぐに同じ力を返されて初めて、虎徹は彼に飢えていたことを知る。  口端へと伸びてきた舌先に唇で擦り寄りキスにして、不恰好だと笑うバーナビーの首元に顔を埋めた。  滑らかな肌に鼻先を押し付ければ、ふわりと掠めるバーナビーの匂い。うすく汗の滲む皮膚から立ち上る体臭は、彼が虎徹と同じ男であることを知らしめる。  普段は香水の裏に隠れているこの匂いは、体臭の薄さも手伝って肌を密着させる距離でなければ感じる事ができないものだ。  すんすんと嗅げば嗅ぐほど頭の芯が痺れるような快い刺激が走り、バーナビーへの想いを強く意識させられた。  頭を撫でてくれる掌に甘えて肌のあちこちを嗅ぎ回れたのも、僅かな間だけだった。  髪を梳く指先に探り当てられた耳朶を軽く引っ張られて、虎徹は再びバーナビーの瞳と対峙することになる。  もっと嗅いでいたかった、言葉なくとも表情には出ていたのだろう。可愛い我侭だと唇を綻ばせたバーナビーは、そのまま虎徹の頬にキスを落とした。 『もう、遊びはおしまい』  言い聞かせるように囁いてから、バーナビーが圧し掛かってきた。二人分の体重を受け止めるベッドが細い悲鳴を上げ、空気が独特の雰囲気を帯びる。  糸が張り詰めるような緊張感がお遊びの戯れを許さず、絡む指先の力が強まり、緩やかに高まる熱がこれからの展開を示唆していた。  決して重ならないと思っていた感情が、ぴたりと重なる。――あの晩焦がれた白い手が、今、この手の中にある。 「バニー……!」  指先を振り解いて、目の前の身体へ腕を伸ばした。抱き締めるよりも先に抱き締められて、裸の肌が隙間無く重なる。熱い。指よりも熱く、更なる熱へ  身を投じることを望む肌を虎徹はがむしゃらに抱いた。未だ忘我には遠く、羞恥に惑う気持ちはあれど、早くバーナビーと抱き合いたくてたまらない。  虎徹さん、好きです。あなたを抱きたかった。ずっとずっと欲しくて、気が狂いそうだった。優しくしたい。でもめちゃくちゃにしてもいいですか。  好きです。好きだ。愛しているんです、あなただけを――欲しいものが透けて見えるのか、バーナビーは言葉でも虎徹を喜ばせた。  嬉しさのあまり感情が先走ってしまうから「俺も、俺も」と馬鹿のひとつ覚えみたいに、同じ単語を繰り返すことしか出来ないのがもどかしい。 「あぁっ……バニー、な、触って……」  我慢できない? 囁く男の手を掴んで先をねだる。  下着に覆われている性器ははちきれんばかりに膨らみ、バーナビーの指が微かに動いただけで歓喜に震えた。  かわいい、鼻先で探り当てた耳に軽いキスをもって甘やかされ、先端がじゅっと濡れた。 『……この程度で濡れるなんて、いやらしいな。あなた、どこまで僕を誘うんです?』  下着に染みを作った虎徹を低く笑って、耳朶を舐めてくる男に翻弄される。それだけで射精出来そうだった。  好きで堪らない男を前にした身体は驚くほど敏感で、いくら堪えようとも心が身体がバーナビーを求める。  視線に肌を焼かれて唇に煽られ、長い指先が虎徹の官能を引き出そうと、性器の形を辿ってゆく。 「っ、んんぅ……ああぁ……っ」  柔らかなシーツに頬を押し付けて、ぞくぞくする刺激に耐える。まだ下着の上から撫でているだけなのに、奥から湧き上がる甘い疼痛で腰が揺れてしまう。  短い呼気を漏らしながら腰を揺するたび、性器を撫でる掌へ強請るように擦りつけてしまってまた可愛いと言われた。  四十路前のおじさんに何言ってんだと咎めたいが、既に言いなりとなっている身体は素直に悦ぶばかりで。 「あああっ! いやっ、いやだっ……なあ、なあっ、もうじかにっ……俺のここ、触ってっ、触ってくれっ!」  重く垂れ下がる陰嚢の狭間に爪先が突き立てられ、ぐりぐりと食い込む鋭い刺激に虎徹は懇願した。  特別快楽に弱い訳ではないのに、男のやることなすことが気持ち良くて、いやいやと頭を振るくせに腰を卑猥に回して誘った。  淫ら過ぎるおねだりすらやってのける自分を厭う気持ちはない。性器を擦って揉んで、果てることしか考えられなかった。  ずっと欲しかった白い手に精液をぶっかけて、目の前の男は自分だけのものだと早く実感させて欲しい。 『ここ触ったら、もっと可愛い声で鳴いてくれます? あなたにいやらしいこと、したいな。ねえ、虎徹さんはいやらしい僕のこと、好きですか?』  淫猥な手付きで性器を撫で回しながら、バーナビーが言葉を求める。 (ああ、好きだ好きだ……バニー、バーナビー……俺、お前が好きでたまんねーんだよ……)  いくら妄想とはいえ、言葉に出せば今虎徹を組み敷いている『バーナビー』の甘えた笑顔が曇って離れてゆきそうで、心裡だけで呟いた。  口に出せないかわりに欲望でどろり溶かされた瞳だけは、グリーンのそれから逸らさなかった。  視線が合うだけで嬉しそうに笑うバーナビーは今か今かと虎徹の唇が開かれるのを待っている。ちらっと流れる視線の先は、淫らな呼気を吐き出す  ほの暗い口のなか。瞳を輝かせながら待つ姿はまるで子供じみているのに、自身の口端をぬらっとねぶる真っ赤な舌先は雄の欲情をほのめかしている。 (……身勝手な妄想なら、いっそ浸りきってしまえばいい)  目の前のバーナビーが空想の産物であることは下肢を弄る掌でも明らかだ。濡れた下着ごと性器を揉みしだく白い手の向こうには、浅黒い手がある。  膨らんだ先端に爪を立てて、裏筋を擦り、陰嚢を指先の間で転がして吐精を促すのは、自慰をする際の虎徹の癖。 (でも、お前は別の誰かを愛してんだろ、バニー……)  焦がれた白い掌で知らない誰かを愛し抱き締めて、虎徹の口腔内で熱い想いを吐露したバーナビー。  あの晩、はっきりと愛する人がいると告げた彼の姿は精彩なまま、虎徹の頭から消えることはない。  衝撃的な熱さと青臭い甘さは、未だに喉奥から立ち上ってくるかのようだった。舌が、彼を覚えている。  僅かな冷静さがゆっくりと妄想を喰らい――バーナビーの姿が角砂糖が崩れるように、少しずつボロボロと欠けてゆく。  行くな、引き止めようと散らばる彼のかけらをかき集めたが、こうなってしまえば二度と戻ってこないことを知っている。  微笑んだまま言葉を待つ顔が無残にも砕け散ったのを最後に、ひとり闇に取り残された。  虎徹は瞼を開いた。震えた拍子に目縁をなぞるように快感の名残りが流れ、滲んだ視界に見慣れた天井が広がった。 「……あーあ、中途半端になっちまった」  残ったのは酷い罪悪感。もう毎度のことだというのにいつだって打ちのめされる。  しかし男の性は悲しいもので、腰の奥で燻る欲情は吐き出さなければすっきりしない。  痛む胸を抱えながらも右手は下肢を弄ることをやめなかった。的確にポイントを責める指先の合間からは卑猥な水音が漏れて、  無駄だと思いつつも淫らを払拭するよう盛大な溜息をついた。  あれからバーナビーとは至って普段通りの関係を続けている。  朝ヒーロー事業部で挨拶を交わし、事務処理に追われる虎徹に苦言を呈しながらもコーヒーを差し出してくれる掌には変わりなく。  共にトレーニングに励んでは休憩が長いとぼやきつつ、最後まで付き合ってくれる所も。  ヒーローとしての活躍も申し分ないようで、上司であるロイズからは毎回労って貰えるし、あのアニエスからも賛辞の言葉が飛び出すほど。  プライベートでも、時間さえ合えば食事や飲みに出掛けている。二人の間にある馴染んだ空気に濁りもなく、あの晩起こったことなど  夢まぼろしであるかのように、いつもの営みが繰り返されていた。 「……無視できないしこり、っつーのはやっぱあるけどな……」  帰路を共にし背を向け合う間際の「おやすみ」を、さよならの代わりに告げる一瞬、互いの瞳を行き交うものがあった。  またいつもの明日が来るのか、バディでいられるのかという、緊迫感を伴った不安だった。 『あなたは、僕のことを何ひとつ知らない。……だから、僕はあなたを信じられない』  ふっと脳裏を掠めた言葉に、虎徹の指先がぴたりと止まる。  会社命令で相棒を宛がわれて今日までの間、人となりを知るには決して長い時間ではなかった。  尺度はなくともバーナビーの事を思い浮かべるだけで、様々な記憶が感情と絡み合って容易に蘇ってくる。最悪に尽きる出会いが過ぎるだけで  未だ腹が立つし、初めて「虎徹さん」と呼ばれた時の事を思い返せば、くすぐったいような嬉しさから頬が緩んでしまう。  一言では表しきれない関係を心と身体が知っている。肩を並べて歩んできた軌跡を振り返ってみれば、確実に積み上げてきたものが  あっただけに、あの言葉は虎徹にとってショックだった。 「……あんなのバニーじゃねえ、って俺も言ったじゃねーか……」  自分は何を見て『バーナビー』と呼んでいたのだろう。  今まで見てきた彼の姿、彼が見せてくれた顔は嘘偽りのないものだと思っている。  虎徹とて初めこそ相容れなかったものの、彼に対しては妥協のない付き合いをしてきたつもりだ。 (この、どうしようもないモンのせいだろうな)  密やかな欲望をない交ぜにした目で彼を見つめ、無意識に自らの願望を押し付けて視界を歪めていたに違いない。  身勝手なショックは自業自得だ。  これ程までにバーナビーへ向かう感情は大きいものだったとは、虎徹自身あの晩まで気がつかなかった。 「諦めなきゃ、なんねーのに……俺、今もお前のことが、好きなんだわ」  愛する人がいると、あなたを信頼していないとまで言われたのをこの耳で聞いた。  揺るがない現実をこの目で見たのに前にも後にも進めない。  鮮烈すぎるあの一夜の中で、虎徹は立ち尽くしている。 「好きだ、好きなんだよバーナビー……」  言葉に出せば出すほど胸に居座る感情は切なさを増すのに、止まらない。もう、妄想じゃ足りない。だって彼の欲情を見てしまった。  熱さを、甘さを知ってしまったら、どうしたって諦めるのは無理だ。感情を堪え、外に漏れ出てしまわないよう努めるので精一杯の癖に諦めきれなかった。 「バニーが、欲しい……」  あの熱さが欲しい。口端を汚した、バーナビーの舌先に奪われたあの一滴でもいいから欲しい。  バーナビーの想いをくれるのなら、知らない相手代わりにされたって構わない――浅ましい欲望に、我ながらぞっとした。  相手が欲しいと、狂おしい恋情を見せ付けたバーナビーのような若さなんて、もうないと思っていた。 「……くそっ。んなの、出しちまえば……!」  下着から性器を引きずり出し、乱暴に擦り上げた。このどうにもならない感情ごと欲望を吐き出してしまえばいいのだ。  それがたった一瞬で終わる安寧だとしても、今の虎徹にとっては確かな救いの行為だった。  先の刺激でぐっしょりと濡れた先端は荒っぽい愛撫を悦び、漏れ出るぬめりが興奮を加速させる。  大胆に絡む指の隙間から血筋の浮いた赤黒い肉棒が伺え、快感に咽び泣くように細かく震える様は見ていて楽しいものじゃない。  同じ男であるバーナビーのペニスは大きく太く凶器にしか思えなかったが、ここまで厭うものではなかった。  強要されたとはいえ、フェラチオだけでなく精飲までしてしてしまう位には――無意識に口腔内を舐め回していた事に気がついた虎徹は、  振り払うように指先の動きを早めた。 「ああぁ……っ、いい……っ」  ぐちゅぐちゅと響く水音すら快感に繋がり、我慢することなく声を上げて絶頂を目指した。  ここまで来れば射精のことしか考えられない。熱で昂ぶった身体はぶるぶると悶え、性器を揉みしだく度に腰の奥底で澱む淫らな熱が  渦を巻いては放出を求めて暴れる。剥き出しの肌は寒さを感じる所かどこもかしこも熱く、触れて欲しいとじれったさに拍車をかけて自らシーツに  擦り付け慰めた。はあはあと唾液滴る舌を出して、発情した獣のように身体を揺らす自分が惨めだと笑えない。ただただ気持ちが良い。  苦しい懊悩を彼方へ追いやる雄の本能と、抗えないに快感に歓喜の声を漏らしながら、虎徹は両手で性器を存分に嬲った。 「はっ、は、あああっ……いくっ、あっバニっ、バーナビーっ……イくっ、イくっ!」  欲望の赴くままどろどろな先端に爪を立てた瞬間、強烈な悦楽が身体を貫いた。  悲鳴じみた声を響かせながら、覚えある快楽の到来に四肢を強張らせて、小さな鈴口を抉じ開け勢いよく吐精する自慰の極みに酔いしれる。  あ、あ、とだらしなく開かれた唇から涎と共にあえかな喘ぎが零れ、虎徹は弛緩してゆく身体をベッドに埋めた。 「バニー……」  名を呼ぶ声の甘さに罪悪感を覚えるのは、もうすぐだ。痺れに犯された指先が冷えるまでは射精の余韻に身を委ねる。  バーナビーを想う気持ちと身体が結びついたのはいつの頃だろう、ぼんやりと薄暗い天井を見つめながら考えた。  向けられる笑顔に後ろめたさを感じてからすぐのことで、さほど遠い出来事ではなかったように思う。 「いつまで我慢できるんだろうな……」  熱を失いつつある精液ごと掌を握り締めた。   それでも、あの白い掌に焦がれている。 「……好きになってごめんな、バニー」  込み上げる感情を押し止めるように、瞼を閉じた。  せめて一日でも長く相棒でいられることを、虎徹は願っている。  例え名ばかりであっても側にいたい。虎徹さんと呼んでくれる間は、バーナビーの隣を歩いていたかった。

 

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