目隠遊戯【前編】





「まさかあなたがここにいるなんて、思いませんでした」  さっきまで猥事に耽っていたとは思えない、あまりにも普段調子な声だった。  薄暗さに慣れた視界の先、壁のように立ちふさがる黒コートの男――バーナビーは帽子を脱ぎ、いつも使用している眼鏡を掛けていた。  レンズ向こうにあるグリーンの瞳が虎徹に張り付く。 「……ちげえよ。飲み足りなくて偶然入っただけだ。お前と一緒にすんな」  一挙手一投足を見逃すまいと、油断ならない眼差しをぶつけてくる瞳から目を逸らし、虎徹はハンチングを被り直した。  あんな事があったというのに、いつもと変わらないバーナビーに戸惑いを隠せない。こっちは酷い現実を目の当たりにして  ぐちゃぐちゃになっているというのに、だ。バーナビーと対峙し、認めてしまえばもう酒のせいには出来ない。 「俺、もう帰るわ」  定位置を確認する振りをして無遠慮な視線をかわし、何気なさを装いながら彼の横を通り過ぎようとして。 「このまま帰すと、思いますか」 「……っ!」  瞬間、手首に走った衝撃に呻いた。 「正直つまらなかったんですが、あなたがいたから少しは楽しめましたよ……その点は、感謝します」  万力のように肌に食い込んでくるバーナビーの指。少しばかり温度の低いそれが容赦なく力を掛けてくるせいで、骨がぎりりと軋む。 「おい、痛てえから、離せって……!」  理不尽な行動にカッとした虎徹は指を振り払おうとしたが、離れる所か微塵も腕を動かすことが出来なかった。  力と力が拮抗する間も、バーナビーは視線を外さない。手首を締める指先以上の強い拘束力をもって、身体を戒めようとしている。  狭い空間の中で生まれる緊張感、押されているのは虎徹だった。 「くそっ……何で、こんな所にいんだよ。ここ、あれだろ? ハプニングバーだろ? いくらブロンズステージとはいえ  表立って商売していい類の店じゃねーだろが。ここにヒーローが、しかも顔出しのお前が来てるなんて、どんなスキャンダルだよ」 「そんなもの、あなたに言われなくても僕が一番知ってます。……何も知らないくせに」  見据えられて、身体が動きを止める。バーナビーのこんな目を見るのは久々だった。  相棒として組み始めた頃には常に向けられていた冷たい瞳を前に、呆気なく怯んでしまった。  (あと一歩、っつーのに……)  ドアは開かれていた。左右どちらかの足を踏み出しさえすれば、この狭っくるしい個室から逃れることが出来る。  目の前のバーナビーさえ突破すれば、後はどうにでもなる筈だ。一瞬の隙があればいい。いっそハンドレッドパワーを使って  まばたきの一瞬さえあれば、ここから逃げられる術はいくらでもある。こいつだって、そこまでは追って来ないだろう――だから。 「……無駄な算段はやめたほうがいいですよ。逃がす気はないので」  唐突に引き寄せられたかと思えば、もう片方の掌で強く胸元を押された。 「っ……うわっ!?」  バランスを崩した虎徹は抗えぬまま、後方の便器に足を取られてしまった。  派手な音を撒き散らし尻を付いたのは、幸いにも蓋ごと下ろされていた便器だった。  腰を打つと共に背中をタンクにぶつけた虎徹は痛みに悶絶し、激しく咳き込んだ。 「っ、ぐっ……お前、何すんだよ!!」  さっきの衝撃で飛ばされたのだろうハンチングは頭になく、崩れた前髪の合間から睨みつける。  申し訳程度な照明との間に立つバーナビーは虎徹の瞳に屈する事無く、どこまでも彼らしい表情で見下ろしていた。  何でもない事だと言わんばかりの佇まいが癇に障る。 「虎徹さん、ここがどういう場所か知っているでしょう? 個室で男が二人きり、方やヒーローだ」  言葉では埒があかないと掴みかかろうとした虎徹の肩に、バーナビーの手が触れた。たったそれだけでまたもや動けない。  さほど体格に差はないのに、どれだけ力を込めたってびくともしなかった。咎めるように両肩に指が食い込んできて、顔を顰める。  バーナビーが言いたいことは判っていた。纏めた金髪を押し隠すように帽子をかぶり、サングラスを掛けていたとはいえ  彼はどこから見てもシュテルンビルドのヒーロー、バーナビー・ブルックスjrだ。  さっきだってバーナビーではないかと疑われていたほど、これでどうして変装していると思えたのか、場違いながら首を傾げてしまいそうになる。 「外に聞こえてしまえば、一大スキャンダルになりかねません。大声を上げるのは、得策じゃない」  鳶色の瞳に惑いが生じた一瞬を見逃さなかったバーナビーは、素早くドアを閉めて鍵を掛けた。かちりと密やかな音が空間に響いて  絶対的な個室が出来上がる。息のつまるような閉塞感が、じわりと虎徹を追い詰めた。 「……どけよ」  可笑しいくらいに声が震えた。 「駄目です。口封じがまだだ」 「誰にも言わねーよ。相棒のスキャンダルなんて、口外してロクな事なんてないだろ。それに、会社にだって迷惑が」 「ええ、僕が知っているあなたは決して誰にも言わないでしょう。でも、念には念を入れる必要がある」  言葉を切ったバーナビーが、一歩近付いた。こつ、と後から付いてきた靴音が、虎徹の跳ねた鼓動に被さった。  ゆっくりと傾げられる身体から逃れるスペースはない。間近に迫るグリーンの瞳は、ほの暗い個室の中でも輝いて見えた。  長い睫に隠れ、再び現われたそこは吸い込まれそうなくらい、澄んでいた。 「……あなたは」  ねっとりとした呼気が頬を撫でる。ぶわっと粟立つ肌の下で、後ろめたい音を聞く。 「あなたは、僕のことを何ひとつ知らない。……だから、僕はあなたを信じられない」  ふわりと、笑った。  いっそ見惚れてしまいそうなほどの、虎徹さんと呼ぶたびに浮ぶあの顔で。好ましいと可愛いと思った顔で。 「は……」  何かを口にしようとして、唇を開いた。しかし思考を止めた頭のせいで、呆けた顔を晒すだけだった。  ――彼は、今何と言ったのか? ……そんなものは愚問でしかない。  言い含めるように、一言一言を丁寧に割って、いっそ甘い囁きをもって告げられたではないか。 「信じられない」と、軽蔑を滲ませ、言い放った。  ゆっくりと解した意識が次にもたらしたのは、酷いショックだった。  彼と共に過ごした時間はけして長くはない。生きてきた年数に比べてはるかに短く、人となりを知るには十分な長さではなかっただろう。  しかし、その中で交し合ったものは数え切れないほどあって、様々な困難を乗り越えた今は、肩を並べて立つ彼を信頼している。  彼だって、心を預けるようになってくれたとばかり、思っていた。 『あんなの、バニーじゃねえ……』  自らの呟きが脳裏に蘇る。自分は彼を、どういった目で見ていたのか。  二人歩いてきた道を、自分に都合よく曲解してしまったのだろうか。心に居ついた彼は一体誰なのか。  内に生じた歪みに、ずぶずぶと飲み込まれてしまいそうになる。 「虎徹さん」  覚束無い視線を捕らえるように白い両手が頬を挟んだ。柔らかな仕草で肌を撫でる指が、あたたかい。 「相棒だったら、共犯者になってくれませんか?」 「……どういう、意味だ?」  辛うじて吐き出した言葉を受けて、バーナビーは更に顔を寄せた。  整った鼻梁が虎徹のそこに触れ、戯れるように擽る。 「話したくても話せない様に、するんですよ」  頬を撫でていた両手がゆっくりと後方に進み、黒髪を掻き分けては地肌を撫でる。 「何を……っ、むぶっ!?」  後頭部へ回った途端、強く押された。  踏ん張る間もなく、腰を浮かせた虎徹の顔面に押し付けられたのは、バーナビーの下腹部だった。 「っあ、や、やめ……っ、やめろっ、バニー!」  スラックス越しにも判る隆起はまだ柔らかく、その形を教えられるよう頬に何度も擦り付けられた。  他人の性器を見たことはあっても、こうして触れたことは一度だって無い。バーナビーに想いを抱いているとはいえ  別に男が好きな訳ではない虎徹はヘテロセクシャルだ。男の象徴である逸物を突然押し付けられれば、それがバーナビーの物でも  どうしたって嫌悪感がせりあがる。鍛え上げられた相手の膝に手を掛け、振りほどこうともがいたが、嫌がれば嫌がる程に  掌の力は強まり、柔い肉に鼻先が埋まってしまった。 「あなたが口を割らないという確証が欲しいんです。尻を使うのは勘弁してあげるんですから、フェラチオくらい、してください」  あからさまな単語に、頬が熱を持つ。 「ぐっ……かみ、切ってやる……!」 「ご自由に。痛いと泣き叫ぶ僕のせいで、事が公になってしまいますが。いいですか、虎徹さん?」  首を傾げ、邪気のない顔で笑う男が他人の空似ならば簡単だったのに。  彼はどこまでもバーナビーで、虎徹は惑うしかなかった。バーナビーは言葉通り、要求を飲み込まなければ解放しないだろう。  自らが取るべき行動は限られている。それはこの場において最善で、虎徹にとっては最低な選択肢でしかない。 (バニーの言葉、効いてんなあ……)  たった一言で、胸が痛いなんてもんじゃない。今はまともに考えられないから、少しでも楽を求めてふっと苦い息を吐き出した。  そもそも彼との仲に不安定要素さえなければ、こんな事にはならなかった。  これがその穴埋めになるとは思っていない。が、ゆっくりと身体から力を抜いた。  無言の了承を感じ取ったのだろう。バーナビーは後頭部から手を滑らせ、虎徹の両脇に差し込み軽く持ち上げながら、便器の蓋に座らせた。  顎に回った指先がそっと顔を上向け、視線を合わせる。 「大人しくしていれば、あなたを傷つけることだけは、しませんから」 「……どうだか」  既にやってんじゃねーかという言葉は内心だけで呟いて、口端を持ち上げた。  どうしたって口角が歪んでしまうのを知ってか知らずか、バーナビーは眼鏡越しに瞳を和らげ「寛げて下さい」と行為をそそのかした。  特徴的な髭を爪先が撫でたのを最後に、指先が離れてゆく。  虎徹は立ったままの彼のベルトに手を掛けた。同じやるなら早めに終わらせようと手早く緩め、スラックスのファスナーを一息に下ろした。  ジジジッ、とこれから行う卑猥な行為を知らしめる音が、ひどく居たたまれない気持ちにさせた。 「……バニー」  流石に口に出すのは憚られ、虎徹は情けなく眉を下げた。 「勃起するのは、生理現象ですよ」  さらりと自らの変化を認められ、逆にどうしたらいいのか困惑する。  スラックスから覗くボクサータイプの黒い下着、その中心が力を持ち始めていた。未だ完全に勃起しているという状態ではないようだが  我知らず目の前の性器とこちらを見下ろす綺麗な顔を見比べてしまった。普段からあまり性を感じない、どこか中性的で  ストイックな佇まいだけであるだけに、生理現象とはいえちぐはぐな感じさえした。  密やかな罪悪感を振り切るよう、腰骨と下着の間に指を滑らせる。  初めて触れた男の肌は滑らかで、締まるゴムを引っ張りちらと見えた素肌は雪のように白かった。 「出来そうに、ないですか」 「やんねーと、帰してくんねーんだろ」 「ええ。あなたが話すとも限らないので」  いつもの口調で言われて、ずき、と胸が痛んだ。表情を見る勇気もなかったから、目前に迫る勃起を見つめた。   (こんなことで、バニーの物に触るなんて……)  そこは、虎徹の脳内で何度も触れていた。綺麗な男のここはどうなっているのか、自分の身体にあるものと同じなのは当然ながら  全く想像つかないからいつだって中身のない絵面だった。性の源を触れられてどんな表情を浮かべるのかすら、拙劣な妄想では補えず空白のまま。  それでも虎徹は自身の性を高めることが出来たし、果てることも出来た。掌に吐き出す白濁は昂揚と後悔が入り混じる不快なものでしかなかったが  バーナビーへの募る想いを昇華するには必要な行為で、日課となっていた。 (でも、駄目だ……無理だ)  バーナビーのことは好きだ。だから気持ちの抜けた行為に踏ん切りがつかない。焦がれていた男の大事な部分を与えられて、悦びなんてひとかけらもない。  雄の醜い性器を間近で見るだけでなく更にしゃぶるだなんて、想像しただけで喉の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。  この行為をもって口封じとすることも、しっかり興奮しているバーナビーもどうかしている。 「虎徹さん」  急かすような声が陶酔じみていた。  それ以上耳にしたくなくて下着を引っ掴み、一気に引き下ろした。 「うわっ……!」  窮屈な下着から勢いよく飛び出た性器が鼻先を掠め、腹を目掛けて跳ね上がった。 「もう少しで当たりそうでしたね」  残念、と付け加えたバーナビーの軽い調子に腹が立ったが、勃起状態が少しでも萎んでしまえば、触れる時間もその分長引く。  感情を押し殺した虎徹は、聳え立つ性器に嫌々ながら視線を向けた。 「っ……」 (……なんつー、でかさ、だよ……)  どうにか悲鳴を飲み込む。バーナビーのペニスは、自分の物とは比べ物にならないほど大きかった。  血走った裏筋を見せ付けるように伸びる肉茎は太く、くびれの先で震える亀頭が腹に届くほど長い。根元の叢は髪と同じ金色で  控えめ程度に生え揃っている。全体的に色が薄い分、グロテスクな様相ではない事が、唯一の救いだった。  しかし、今にも弾けてしまいそうな陰嚢が肉茎につられて震える度に、虎徹の気分を重くさせた。これから目の前の性器を口に  含むだけでなく、精飲を強要されてしまうかもしれない。飲めと言われたら、虎徹に拒否権などないだろう。  いつ誰が来るか判らない、トイレの個室。密室にも等しいこの場所で、相棒である男の下腹部に顔を埋めてフェラチオをする。  ――落ち着かない。有り得ない現状に、頭がくらくらする。 「いつまで見てるんですか。早く帰りたいなら、舐めて」 「うるせえな……わか、ってるっつーの……」  髪を梳く指先にせっつかれて、恐る恐る手を伸ばした。近付くにつれその熱さに肌がピリピリし、触れた時には燃え滾る感触に  驚いて手を引っ込めてしまった。まるでペニスを初めて目にする処女のようだと揶揄する声を意識の外へ流して、再び手を伸ばす。  ひたりと掌を貼り付ければ、肌が焦げてしまいそうなほど熱く硬かった。 「虎徹さん、早く……」  前髪を緩く引っ張られるがまま、虎徹は顔を寄せた。鼻先を掠める欲情の匂いに眉頭を寄せながら、肉茎を掴む。掌で適度な角度を保持し  唇を開いてペニスの為に舌を差し出した。切っ先の震えがバレないうちに、べろりと、肌に這わせる。 「ん、ぅ……っ」  指で触れるよりも近くて、生々しい接触。初めての肌の味は滑らかで、ひたすら熱い。  男のペニスを舐めている、目を逸らしてしまいたい現実ながら、触れる感触は想像していたより悪くはなかった。  舌が渇く前に引っ込めて、再び唾液を纏ったそれでペニスに絡みついた。  今度は長く押し付けて、そして広く――じゅっと立った水音の卑猥さに、どきりとする。 「っ、虎徹さん、そのまま……もっと、しゃぶって下さい」  呼気の乱れが艶かしい。惹かれて仰ぎ見たバーナビーの表情は薄闇に紛れていたが、感じ入っていることは舌先でありありと判った。  恐らく何よりも素直なこの性器のせいで、彼の感情は筒抜けだろう。 「ふ……っ、ん……」  息を逃がしながら、どう舐めるのが適当なのか判らないから、舌を伸ばしてひたすらに舐め回した。  裏筋に浮いた血管を辿ったり、ペニスの形通りに舌を這わせ、亀頭にキスをし、根元の金の茂みにすら唾液を絡めた。  舌を這わせるたびにどろっと垂れるフェラチオの名残りが目に痛くて、自らの唾液ごと啜った。バーナビーの肌に触れただけで  唾液すら甘く感じて、無意識に何度も同じ事をした。ふるふるとあえかに、時に逞しく脈打つペニスに、驚くほど舌を与えてしまう。 「初めてにしては、上出来ですよ、虎徹さん……」  昂揚確かな囁きが何とも落ち着かない。甘さの滲む声なんて、今まで聞いた事がなかった。これは何ていう、毒だろう。 (早く、早くいっちまえよバニー……)  幾度も舌を這わせながらバーナビーの甘えた息を浴びていると、押し隠している感情が浮上しそうになる。  この男、酷く可愛いのだ。舌の動きにいちいち反応して、ねだるように腰を揺らめかせる姿をもっと見たくて見たくて、堪らなくなる。  膨らんだ欲望が理性を僅か超える一瞬、まるで身体を乗っ取られたかのように意識の外をゆく舌が止まらない。  少しでも離れれば疼いて仕方ないから、鎮めようとペニスに触れては悪循環。はしたなく響く水音に意識を引き戻され、失望する。  これは強要されている行為なのに、自らすすんでペニスを求めているなんて、思いたくも無い。 (引き返せねー所まで、行く前に……早く、早く)  こんなものは、妄想の中にもなかった。こんな自分は知らない。今夜は飲みすぎている。濃密な時の詰まったこの個室が悪い。  あんな乱れた行為を見せた、押し止めていたのに無理矢理引きずり出したバーナビーが、全て悪い。 「そろそろ、咥えて」  言われるまでもなく、虎徹は手の中のものを口腔へと導いた。  亀頭の大きさに合わせて開いた唇で、ずぶずぶと飲み込んでゆく。舌で味わう以上の衝撃だった。いつしか完全に勃起したペニスは熱くて熱くて  内から爛れてしまいそうな熱さにおののく。口いっぱいに頬張れば逞しさが実感出来て、粘膜を擽る刺激が甘すぎて、バーナビーの味が濃厚過ぎる。  ただ咥えているだけだというのに、この刺激はなんだ。虎徹は瞳を瞠り、全身に走る衝動に耐えた。 「っ……あなたが、こんなことをしているなんて……」 「ふっ、うう……っ、んう……」  恍惚とした囁きに、身体の奥深いところが溶かされそうだ。シャットアウトしたいのに艶冶な声が欲しい、もっと聞きたいとねだる口元は  フェラチオを知らない癖に、性器を更なる昂ぶりへ押し上げようとする。 (んだよ、これ……何で、こんなになっちまうんだよ……)  さっきまで強烈な嫌悪感があった。同じ男でしかも相棒であるバーナビーの性器に、したこともないフェラチオをしろだなんて、おぞましいとさえ思った。  バーナビーをやましい目で見ていたとはいえゲイの気だって一切ないのに、先端から溢れるしょっぱい先走りを飲むことに抵抗すらなくて  飲みきれないもので口端が汚れるのも厭わない。男の性感がとろけた汁が腹に溜まってゆくにつれ、目の奥が熱く濡れてしまいそうになる。  きっと今の自分の顔は含羞と欲望にまみれて、見られたものではない。  こちらからバーナビーの顔が薄闇に隠れて見えないように、彼からも虎徹の表情を伺い知ることは不可能だろう。  ――生々しい接触で欲望をぶつけあう、素直な粘膜以外では。 「虎徹さん、いい……もっと奥まで咥えて、吸ってください」  髪を掻き荒らす指先は余裕なく、急いた様子で要求する。 (も、したくねえ……無理、なのに……)  抗う感情とは裏腹に唇はNOと言わず求めに応じる。 「んんっ、んぅ……っふっ」  ぶっとく硬い切っ先に脆弱な粘膜を許すのがおっかなくて、おずおずと喉奥まで飲み込めば、口腔を犯されている感覚が強くなった。  大きな性器にみっちりと張り付くように咥え込んでいるせいで呼吸すらまともに出来ず、どうしたって鼻息荒くなってしまうのが情けない。  甘えたような響きを下品に啜ることで誤魔化そうと唇を窄める。頬をへこませて、じゅるるっと唾液ごと吸引すれば、すぐ上の腹が震えた。 「……あなた、何で僕がこんな所で男を相手にしているのか、知りたがってましたね」 「っふうう……ん、むぐ……」 「好きな人が、いるんです」  予想外の告白に、虎徹は思わずペニスを吐き出してしまった。 「っ、ごほっごほっ……お、お前、に?」  咳き込む虎徹の背をそっと撫でながらもバーナビーは「咥えて」とペニスを顔面に突きつけた。  濡れた切っ先で頬をどろどろにされ、そのぬめりが衣服を汚す前にと再び咥え込んだ。  それに、今の彼は何を聞いても話してくれない気がした。 「僕には手が届きそうにない人なんです……でも好きで好きで好きで、毎日どうにかなりそうだった」  これほどまでに人を想うことがなかったのだと、どこか照れくさそうに話すバーナビーの表情は薄闇の向こう側。 「このままでは我慢がきかなくなりそうだったから、ここに来たんです。誰も相手を特定しない。その場の雰囲気を楽しむ一夜限りの軽薄さが助かった。  僕はもう、自分で慰めるだけじゃ足りない……欲しくて、気が狂いそうなんです」  滑稽でしょう? うなじを撫でる指先が、まるで相手を愛撫するかのように優しくて狼狽する。  バーナビーから痛いほどに相手を想う気持ちが伝わってきて、虎徹の胸まで苦しくなった。若い彼の胸には恋がある。  確かな感情は虎徹がバーナビーに抱くものと同じで――相手だけは、違うのだ。 「誠実じゃないと思うかもしれない。でも、ここは僕にとっても相手にとっても、今を守る術だった」  バーナビーはゆっくりと腰を振り始めた。誰を想い、誰を愛しているのか。口腔を行き来するペニスの動きは労わりに満ちていた。 (イきたい、癖に……こいつ、本気なんだな……)  無理のないストローク、膨らんだペニスは力強い律動で粘膜を打ち、溜まった情動を訴えている。  これがどんな状況か、同じ男だから堪える痛苦だって知っている。目の前でぶるぶる震える大腿が痛々しくて、宥めるように触れてしまいたいほど。  すぐ間近にある快楽を本能が求めているだろうに、バーナビーは雄の衝動に身を委ねることなく緩く腰を回し続ける。 「あなたも愛を知っているでしょう? ヒーローだって人間だ。恋してセックスをして何が悪いんですか?」  教えて、ねだられてもペニスを咥え込む唇では何も言えず、言葉の代わりに先端を吸った。  苦いものが混じり始めた先走りが彼の狂おしい感情そのもののようで、大切なものを扱うようにそっと嚥下してゆく。 (この歳で失恋すんのも、きっついな……)  元より叶うとは思っていなかったし、伝える気すらなかった。一方通行を望んでいた心はしかし、バーナビーの気持ちを知って捻れる様に痛い。  苦しくて堪らなくて、込み上げるものすらあった。表へ出ぬまま朽ちることとなった感情を素直に出すには年を重ね過ぎて、男としての矜持が邪魔をする。  虎徹に出来ることは今まで通り、無かったものとして振舞うことだけだ。 (何で、俺じゃねーんだろう……)  もし自分がバーナビーの想い人であるならば、こんなにも彼を苦しませることなどしない。  もし、目の前に想い人がいれば自分は何をやらかすだろう。 「だから、口封じをしているんです……ねえ、虎徹さん。いかせて」  甘えた声に、意識が焼かれてしまいそうだった。  苦しくて熱くて好きで好きで――本当に、どうしようもない感情だ。 「……いかせて、くださいっ……!」  切なく引き絞られた懇願に強く瞑目する。もうこれ以上、この男を見ていられなかった。  虎徹はスラックス越しに大腿を掴んで、吐精を促すように頭を揺らした。  ぐじゅぐじゅと体液交じりの唾液を飛ばしながらペニスの切っ先に吸い付き、感涙を零す小さな穴を想いのまま愛した。 「ぐっ……ってつ、さ……っ!」  震える指先に髪を鷲掴みにされて、一際奥の粘膜に勃起が届いた瞬間、口腔へ熱い奔流が叩きつけられた。  盛大に跳ねる先端から溢れた精液は勢いよく粘膜を濡らし、間断なく雄の昂ぶりをぶつけてくる。 「んんんっ、む……っぐ、ん……」  初めて口にする体液の青臭さにえずくよりも、孕む熱さに痺れた。  男の欲に濡れた情熱が粘膜に染み込んで、内から焼こうとする熱さが堪らない気持ちにさせる。バーナビーの熱さに甘い眩暈すら催しそうで  これが相手への想いの塊だと思うと、どろっとした濃い精液を乗せた舌が惑う。  溜まっていたものを吐き出し衰えつつあるペニスがずるりと唇から引き抜かれ、緩んだ口端から溢れた白濁が虎徹の肌を汚した。  「っは……そのまま、飲んで……」  掠れた囁きと共に顎へ添えられた指先に従い、口を閉じる。ここまで来たら嫌悪感もない。ただ、どうにもならない戸惑いのせいで  粘つく精液を飲み込むのに時間が掛かった。  一滴まで飲み干した果てに空気が動く気配がして、閉じていた瞼を押し上げる。すぐ近くに、バーナビーの顔があった。  薄闇でも判る白い頬は朱に染まり、快楽の余韻を湛えたグリーンの瞳はしっとりと濡れている。肌にかかる吐息の柔らかさに  むず痒さを覚えた虎徹はされど顔を背ける事無く、真っ向から艶かしい男を見つめた。 「……今晩のことは、忘れて下さい」  小さく囁いて、更に顔を寄せたバーナビーの舌先が虎徹の口端を舐めた。  ねっとりと肌を辿るそれがキスでないことは、すぐに判った。離れゆく相貌、ゆっくりと巻き戻る赤い舌先が白濁で汚れていた。 「……なあ……恋、叶うといいな」  我ながら心にもない事を言うもんだなと思う。  空虚なそれでも、個室を後にしようとしたバーナビーを引き止めることには、成功したようだ。 「……あなたには関係ない。忘れて下さいと、言ったでしょう」  熱の残る瞳で見下ろし、長躯を折ったバーナビーが次に身を起こした時には、虎徹のハンチングが握られていた。 「俺は相棒、だろ……。応援くらい、させてくれ」 「大きなお節介ですよ。……あなただって、誰を想って僕のをしゃぶってたんだか」  溜息に混じった、僅かばかりの苛立ちと嫌悪――気がついた時にはハンチングが頭にあって、バーナビーに感謝した。 「遅いから気をつけて。……襲われないで、下さいよ?」  苦笑する彼の革靴が、今日最後に見たバーナビーだった。  個室の鍵を解除し、そのままレストルームを後にした男の足音が消えてから、重い頭を上げる。 「……キズモノにしたお前が言うなっての」  背後のタンクにだらしなく凭れ掛かって、虎徹は目を閉じた。  考えるのも億劫だった。身体の中心で熱を持ち、自己主張する部分を慰める気にすらならない。  心もどこか壊れたのか、何も感じないのは幸いで、ただ一人、遠くにある猥雑な重低音に耳を傾ける。 「あー、好き好きって言うバニー、可愛かったな」  普段は器用に物事をこなす癖に恋には不慣れなのか、不器用な恋愛をしているらしい彼が意外で。  直情的な割に相手を想って引いてみせる優しさと、結局のところ余裕のない所が可愛くて仕方ない。  「俺、バニーちゃんのこと、本気だったんだなあ……」  ここまでの存在であったことに、今日の今日まで気付かなかった。 「なあ、バニー……俺、お前好きだったわ」   この曲は知っている。伸びやかに響く女性ヴォーカリストの声に合わせて、虎徹は歌うように呟いた。  あの白い手は、どんな感触だろう。投げ出された掌が見えない手を掴むように、ぎゅっと握られる。 「……あ、でもちょっとムカつくな……」  口端を撫でた赤い舌、その切っ先に乗った男の欲情。  最初で最後のバーナビーの熱を、堪能する間も与えないとは――虎徹は不恰好に持ち上がる口端を、自らの舌で舐めた。                                                                         「目隠遊戯」H24.3.14(pixiv H24.3.12)

 

戻る

Copyright (C) sample+ren. All Rights Reserved.