「聞いてるんですか、おじさん!」 「あ……悪い。何だ」 眼鏡越しに睨み付ける冷ややかな瞳。虎徹は煽ることを知りながらへらりと笑った。 案の定、表情を険しくしたバーナビーはもういいです、と憤然として背を向けた。 荒い足音を立てながらアポロンメディア内の廊下を突き進む背中を見送るだけに留めた虎徹は、怒りを隠そうともしない男が 消えてから空虚な笑顔を消した。 「やっぱあいつとは相容れねーわ……」 子供みたいだ――いつかの晩に言われたむにっと尖った唇を押し隠すように、ハンチングを深く被りなおす。 そのまま誰もいないのをいい事に手近な壁に寄りかかった。積もりに積もった鬱憤を吐き出すように溜息をついて、白い天井を見上げる。 今日の事件も散々な結果に終わった。 シュテルンメダイユ地区ノースシルバーにて銃の乱射事件が起きたとアニエスから一報が入ったのは、虎徹がトレーニングに精を出している時だった。 犯人が所持している銃は殺傷能力の低い銃火器ながら内一人が能力不明のNEXTであること、白昼の人通りの多い一角が 事件発生現場であることから可及的速やかに事件を収拾する必要があると司法局からの要請で、ヒーロー全員が借り出されることとなった。 先に現場へ駆けつけ犯人と応戦していた警察と連携し鎮圧に臨んだ結果、能力者含む四人の犯人は逮捕、人質となっていた被害者や 往来を占めていた市民に大きな怪我もなく事件は解決した。 路面に散らばるゴミや持ち主を失った鞄や靴からは人々の恐慌が、無数の穴だらけになった何台ものイエローキャブや乗用車、 無残に破損し滅茶苦茶となった店からは事件の禍々しさが見え隠れし――物損の割りによく死亡者が出なかったなと、虎徹は 現場を見渡してぞっとした。それも警察の素早い対応により、逮捕を恐れた犯人が早々に店に立て籠もったからだという。 居合わせてしまった市民の恐怖は計り知れないが、彼らの身にひとつの傷もなく済んだのは本当に僥倖だった。 事件を解決に導いただけでなく、不名誉ではあるが壊し屋と呼ばれる所以である破壊行為も今回はゼロ。 ポイントだってワイルドタイガーとバーナビ-の両者共にしっかりと取り、メディアに対しての対応も抜群で今日の活躍は決して悪くはなかったと思う。 結果良ければ全てよし、と綺麗に終わらないのがヒーローという因果な職業だった。そこに、今回の失敗がある。 単独での行動でにおいてはパーフェクトに近いものだったが、相棒との連携となると過去最悪だった。 意思の疎通を鼻から計ろうとしないバーナビーは虎徹の合図、通信を綺麗に無視し、全てを一人でこなそうとしていた。 最初の事件から今日日ミスの連発で上手くいった試しはなく、今回のように被害を最小に食い止め早急な対応が求められる場面では、 時と場合によってはけして間違った判断ではない。 先日ロイズから「バディが売りなのだから連携が一番の見せ所」と言われたばかりだというのに、スタンドプレイに徹する バーナビーに耐え切れなくなった虎徹は、駆ける相棒に併走し犯人逮捕に挑んだ。 結果、バーナビーと息が合わずちぐはぐな攻撃で犯人を取り逃がすという醜態を晒した挙句、能力が切れてしまい窮地に陥った場面で KOHであるスカイハイに救われるという失態を犯してしまった。 収拾後、トランスポーターに戻った虎徹を出迎えたのは、フルフェイスを上げた相棒の冷徹な視線だった。余計なことをするなと吐き捨てられ、 こっちだって言いたい事があると応戦した虎徹との間に剣呑な雰囲気が立ち込めるも、上司のロイズが割り込んできた為に口を噤むこととなった。 こめかみをひくつかせながらいい加減にしてくれと、毎度恒例になりつつある説教はアポロンメディアへ着くまで終わらなかった。 ロイズが去った後、もう言い争う気も失せたのかヒーロー事業部で事務処理をこなしている間は無言を貫いていたのに。 休憩に立ったついさっき、いつの間にか背後に付き従っていたバーナビーと廊下で言い争いになり、こうしてひとり廊下に突っ立っている。 今思い出しても腹立たしいことこの上なかった。勿論、自分の至らなさには忸怩たる思いもあるが、虎徹が悪いと一方的に 攻め立てるバーナビー側にだって、非はある。 仕事に対してはストイックで努力家、聡明で機転も利き、場に応じた適切な判断とそれを実行できる力のあるバーナビーは 持て囃されるだけあって有能だった。短い間ながらすぐ側で活躍を見せ付けられれば、自分の感情を差し置いてでも認めざるをえない。 しかし、仕事と割り切るがゆえの情の薄さと独断先行、誰も信用しない部分が唯一の欠点だった。 組み始めたばかりのパートナーを心の底から信頼しろなんて言うつもりも無いが、少しは歩み寄ることを考えて欲しいとは思う。 とはいえ、吹っかけられる喧嘩に乗っかってしまう自分も、人のことは言えない。 結局の所、上手くいかない要因は二人にあるのだろう。信頼関係のなさが全てもの原因だった。 そもそも出来たばかりの相棒にパーフェクトを求めるほうが間違っている。 ……なんて、ヒーローにはあるまじき事すら考えてしまって、虎徹は己の不甲斐なさに嫌悪した。 どうしたって上手くいかない。今日ほどむしゃくしゃする日はなかった。――もう、限界だ。 「くそっ……」 舌打ちに重なり、終業のベルが廊下に響いた。 耳の奥にまでこびり付くような残響に顔を顰めた虎徹は、じょじょに大きくなるざわめきに追いたてられるようヒーロー事業部へと足を向けた。 宛てがわれているデスクを手早く片付け、帰宅の準備に忙しい事務の女性と挨拶を交わして続々と帰宅の途につく社員に混じり正面玄関を くぐった虎徹は、長い階段を下った先にある姿に眉を顰めた。 遠目にも判るすらりとした長身の男は、さっさと社を後にしたはずのバーナビーだった。 (今一番会いたくねーって時に……) 道路の端に寄せた真っ赤なスポーツカーに寄り掛かり、ビルから吐き出される人達へ視線を走らせる男の目的は言わずもがなだろう。 懐からアイパッチを取り出し、目元を覆った。 アポロンメディア期待のヒーローであるバーナビーの姿は否応なく人目を引くのに、唇を引き結び硬い表情で腕を組む姿に気後れしているのか、 視線をくれるだけで誰一人声をかけなかった。ファンサービスも仕事の一環だと割り切っているバーナビーのことだから、己の感情を殺し 輝く笑顔と愛想をもって応対するのもお手の物なのに……今日は皆見てみぬ振りをするようだ。 視線が重なる。怪訝に細められた瞳がひたりと張り付き、虎徹の足を重くさせた。 「……常にそれくらいの冷静さはあって欲しいですね、先輩」 通り過ぎる瞬間、片頬を器用に持ち上げた男がアイパッチを睨める。 「お前と違って俺は顔出ししてないんだよ。バレたら面倒くさいだろーが」 「まあ、どっちでもいいです」 あなたはあなたに変わりない、すげなく言い捨て腕を解いたバーナビーが、目線だけで虎徹を促した。 車に乗れと、さっさと運転席へと回り込んだ背が逃げを許さない。これ以上、何を話すというのか。いつだって引かず平行線でしかない 争いをまた交わすのだと思うと、虎徹は溜息を吐かずにはいられなかった。 衆人観衆の前で揉めるのも得策ではないと思い当たった所で、この目立つ場所で待っていたのも男の思惑によるものと気がついた。 どこまでも癇に障る。ハンチングで苛立つ表情を押し隠しながら、助手席のドアに手をかけた。 バーナビーに連れられたのは、シュテルン湾を一望できる港だった。 アポロンメディアのビルからほぼ真逆の場所を選んだのは、出来うる限り人目のつきにくい場所を選んだ為だろう。 美しい落日を拝める絶好のデートスポットだと言われるこの場所も、今日という平日に人の気配はない。 暖房の効いていた車内から降り立った虎徹は、突き刺すような冬の海風に迎えられて首を竦めた。 今まさに夕日が沈もうとする遠い地平線に目をやっていると、エンジンを止めた男が隣に並んだ。 「……何の用だよ」 焦らすように沈みゆく陽から目を逸らさずに虎徹は問う。 「僕は、もう限界なんですよ。あなたと組むのは」 嘆息交じりに吐き出された言葉に応戦せず、黙って前を向いていた。 「……あなた、僕のことを避けてませんか?」 しばらくの沈黙後、唐突に食い込まれて心臓が止まりそうになった。 「何を……」 「今日の事件、あと一歩こちらへいれば反撃のチャンスがあった。……あの時、視線合ってましたよね」 恐らく、考えていることは同じだった――続けられて、虎徹は唇を噛み締めた。 そんな事は自分が一番判っていた。 もう一歩だけ男の側へ踏み込んでいれば、取り逃がした犯人に反撃の隙を与える事無く確保し、スカイハイに救われることもなかっただろう。 聡明なバーナビーが気がつかないはずがない。そう、あの時に連携のチャンスがあったのだ。 コンマ単位の時間の中で生まれたチャンス。二人の持つハンドレッドパワーならば容易に時を越え、掴む事ができた女神の前髪。 ふいにしたのは虎徹だった。――そこにバーナビーがいる、至極身勝手な理由ひとつで身体が動かなくなってしまった。 「……あの晩のことを、気にしているんでしょう?」 「っ……」 確信に満ちた言葉に息を詰める。僅かな身体の震えが、男の言葉を肯定していた。 限界、だった。なんでもないシーンにまで男の存在がちらつき、頭を占める日常に。答えを出せない、自分自身に。 戸惑いが現実を揺らしにかかり仕事にまで影響を及ぼしている。――あのグリーンに囚われている。 「もう、やめますか」 静かな言葉を乗せた海風が耳朶を撫でる。 「僕は、こんなことを望んで口にした訳じゃない」 男が身体ごとこちらを向いた。僅か下げた視線に赤いブーツの切っ先が見える。 身体の横で垂れ下がる両腕がゆっくりと拳を作ってゆくのを、虎徹はハンチングの合間から見た。 「……お互いに、その方が」 ひりつく喉から絞り出した言葉は掠れていた。何を言いたかったのか、自分でも判らないまま。 「ですね、それでは」 全てを言わせる事無く、一際冷たい声音でさよならを告げたはずなのに。 「……最後くらいは、僕を見て欲しかった」 見えない恋縋る男の瞳が、悲痛な声が、胸を突き刺した。 「……ッ、バニー……!」 顔を上げた時には、バーナビーは背を向けていた。咄嗟に伸ばした掌は空を掻き毟っただけで、金の後ろ髪には届かなかった。 たった一歩を踏み出せば追いすがることが出来たのに、全てを拒否する背中におののいた虎徹は、昼間と同じ愚行を犯した。 バーナビーは視線のひとつも寄越さず車に乗り込み、滑らかな動作で来た道を戻っていった。 「俺は、どうすれば良かったんだよ」 受け止めきれないのならば、来るべくして訪れた終わりだった。 綻びは見えていた――軽薄な関係が辛かったと、お互いに思っていたのだ。 「あんな声を残されちまったら」 恋縋る目で、キスを強請ったくせに。 「あんな目で見やがって」 バーナビーの部屋で知った瞳の美しさは、まだ心に残っているというのに。 「お前は、どうして欲しかったんだよ……」 呟いて、口内に滲む苦味から逃れるように地平線へと目をやった。 夕日が赤い一本の筋を最後に闇色の帳に飲み込まれて――消えた。 ⇒続き