ロイさんの言葉で衣服を脱ぎ捨てると共に落ちていく戸惑いと羞恥心。衣擦れの音が昂りを煽る。 あっけなく剥がされるプライドの重さは、たいしたものじゃない。 彼の言う通りに裸になり、自らを慰めるのが僕の願望へと繋がっているから。 生まれたままの姿になった時にはもう指は肌を這い、微かに反応し始めている自身へと絡んでいく。 今宵、虚しい行為の虜になるには絶好の月夜だった。 「私の手は君を知り尽くしている」 甘い声が電話口から届くたびに身体が震える。日通しのよい大きな窓から差し込む月明かりが、肌に散る白濁をいやらしく照らしていた。 もう何度それをかぶったか、自分自身でも知覚していない。己の熱をただ声に従って触れ、甘い感覚を追うので精一杯だった。 「ロイ、さんっ……もっと、僕に……」 喘ぎに交えて懇願すると、電話向こうのロイさんが満足そうに笑った。 もう羞恥心なんてとうになくなったと思っていたのに、まだ焼き切れてない、僅かに残っていた理性が恥ずかしさを訴える。 でも今の僕にはその羞恥すら快感に繋がって、熱を帯びた自身を弄る助けにしかならない。早まる手淫。ベ ッドの上で 大きく足を広げた姿を見るものは月以外にない。部屋で一人、ひたすら自慰に耽っていた。 ロイさんの言葉に従い自らを慰める行為は、自分の指なのにまるで彼に触れられているような錯覚をもたらす。 手の大きさも、温度も、動きもまったく類似点などない、確かに自分のもの。ちぐはぐな感覚は、それだけでそそられた。 触れるたびに膨れ上がる欲望、湧き上がる快感。理性の元を離れた指先はロイさんの思うがままに動いては、快感を生み出す。 けして身体を合わせることのない一方的な行為でも、妙な一体感はセックスを思わせたから。 恥ずかしくも虚しい行為の先にロイさんを感じてしまった僕は、毎晩ロイさんを求めてしまう。 『ああ、欲しいだけあげよう。何度でもね……私に、君の可愛い声を聞かせてくれ』 「っ、ああ……」 甘い囁きに酔いながら、夢中で自身を上下に擦った。竿を伝う先走りが擦るたびに、ぐちゅぐちゅと淫靡な水音を立てる。 ぬめりを帯びた指先が裏筋を辿りながら、時折、密やかに連なるものを揉みしだけば、眩暈がする程に気持ち良い。 もっともっとと、強まる欲望の赴くままに、指先は自身を責めていく。腰から全身に広がっていく快感が、身体の熱をまた急上昇させた。 「ロイさん、好きですっ……も、イきたいっ」 『私も君が好きだよ、アルフォンス……いきなさい』 ようやく出たロイさんの許しに、ピッチをあげて擦った。 痛みを感じるくらいの手淫も、限界に近づいている自身には甘い快感でしかない。先端に指先を押し付けて爪を立てる。 もうイくこと考えられない指は、しかし焦るがあまりぬめって上手く吐精を促す快楽までには届かなかった。 焦らされているようなもどかしさも、今はただ苦しいだけ。思うように得られない頂点へのきっかけをどうにか手にしようと、 受話器をベッドへ放り投げて両手で自身に触れた。根元から先端を行き来して、片方の手で先端を強く押す。 「うあ……っ、ああっ……!」 芯を苛んでいた快楽の塊が一気に放出される瞬間、一際高く上げた声は、自分がイった事の確かな証明となる。 頭が真っ白に塗りつぶされて、頭のてっぺんから爪先まで走り抜けた鋭い快感を、背を反らして受け止めた。 指をすり抜けて弾けた白濁は、剥き出しの腹だけに留まらず、ベッドのシーツまで白く汚した。独特の匂いが鼻をつく。 急に力の抜けた身体を壁に寄りかからせて、呼吸を繰り返した。静かな部屋にこだまする、いまだ熱く荒い息が情けなかった。 それでも快感を追うので必至だった為に、満足に空気を得られなかった身体は呼吸をやめない。 生暖かい精液が纏わりつく手を拭う事無く、受話器を取り耳に寄せた。 快感の嵐が過ぎ去れば、残るのはいつも虚しさだけだった。身体の至る所に飛んだ精液が、やけに汚く見える。 『良かったよ、アルフォンス』 愛しい人の声は余韻に浸る身体には甘く、快感に敏感な身体が震えた。 快感に目が眩んでいるうちは気にならない一人だということも、終わればひどく実感してしまう。 快感を共有する人がいないのは虚しくて、あんなに熱かった身体もすぐに冷えてゆく。 大きな腕に包まれて、あたたかな余韻に浸れることを願うも、それは叶えられない願望の一つで。 僕とロイさんは所謂「恋人同士」という関係にあれど、付き合い始めてからキス以上はまだ何もしていなかった。 それ以上の接触がないのは、互いに時間が取れないわけでも、嫌われているわけでもない。 理由は簡単、僕達の間に「男同士」という隔たりがあるからだ。 超えられない壁の存在に気がついたのは、初めて深いキスを交わした時だった。 ぶつかるように重ねられた唇。突然のキスで閉じることも忘れた隙間から進入してきた舌は、僕を怖がらせないようにという配慮か 慎重に動いては、時に大胆に蠢いた。驚くばかりだった初めての深いキスも、次第に心地よく、そして快感すら感じるようになって。 つい鼻にかかった甘え声を上げてしまった自分に向けられた、ロイさんの表情は――男でも感じると女と同じような反応を返すのか、と 純粋な驚きと少しの軽蔑を含んだ顔をしていた。 それ以降は触れるだけのキスと抱擁だけが、二人の愛情を表す行為となった。 傷付かないといえば嘘だ。僕だってあんな声を上げるつもりもなかったし、いわば生理現象だ。 誰よりも大切なロイさんだからこそ、流れに身を任せても構わないと覚悟をしていたのに。 身体なんて関係ない、ロイさんが好きだからと、同じ男の人に抱かれてもいいって思っていたのに、拒否されたんだ。 先に好きだと言ったロイさんは、そんなしがらみはとうに捨てたと思っていたから、傷付かないはずはない。 結局は気持ち悪い、ということだろう。 好きという気持ちはあれど、人類誕生から始まっていただろう性の概念を無視した関係なんだから、仕方がないのかもしれない。 ロイさんは優しいから、あれからそんな素振りは出さなかった。 抱き締めてくれるしキスもしてくれる、好きだと囁く彼の気持ちを疑ってはいない。恋愛は身体だけが全てじゃないと、それはお互い判ってる。 でも好きなら欲しいと願うことは間違ってはないはずだ、恋愛線上にある本能だから。 好きだから「欲しい」。 好きだから、ロイさんの戸惑いも「仕方がない」。 二つの間で迷う僕に差し出された逃げ道は「自慰」だった。 始まりはロイさんからの電話がきっかけ。「電話でも出来るんだよ」と話した彼に始めは意味が判らなかったけど、気がつかないほど子供じゃない。 しばらくしてから「セックス」を指していた事に気がついた。 「裸になって足を広げて、自分自身を慰めろ」と、部屋には誰もいないからって出来る筈がなかった。 突然の展開に戸惑いながらも、でもロイさんの言う通りに服を脱いでいた。 僕を呼ぶ声が、促す声が想像以上に甘く、いやらしくて……愛のある行為はこういうことなのかもしれないと思ったら急にずくんと芯が疼いた。 衣服の上からでもわかる昂りへと、ろくに自慰なんてした事はなかったけれど手を伸ばしていた。 まるでロイさんと触れ合っているような錯覚、快感を覚えた身体は悦びを感じ始め、触れてこないロイさんと電話を繋いでの 艶かしい逢瀬に、いつしか夢中になっていた。終われば虚しいだけなのに、その一瞬が欲しくて。疑似でもいい、ロイさんとひとつになりたかった。 ロイさんは僕の葛藤を知っていたから……逃げ道としての「自慰」を用意してくれたんだと思う。 ――ズルイ人、だ。 「今すぐ君を抱きたい」 思考を掻い潜って届いた誘い。 けして本気で触れるつもりはないだろうに、言葉遊びのような囁きでも小さな幸せにはなる。 「僕もロイさんが欲しくてたまらない……我慢、出来ないんです」 そう返せば、電話の向こうで吐息の震えた気配が届いた。ふいに落ちた間に、胸が痛む。 きっとまだ踏み切れない、ということ。この甘い時間も、回線を切ればいつも通りの僕達に戻る。 あたたかい腕に抱かれて、奥底でロイさんを感じられる日はまだ遥か遠い未来――満たされない願望。欲しくてたまらない。 恐る恐る、自身の奥へと伸ばされた指が後孔へと触れた。自分で濡れることを知らないそこは固く閉じられ、何かで濡らさなければ挿入に痛みを伴いそうだ。 咄嗟に吐き出したままの白濁を思い出すも、それは既に乾燥していた。 「……もう少しだけ、待ってくれ」 しばらくの間を置いて返ってきた言葉は、予想通りだった。 虚しくて、寂しくて、悲しくて。 どういう表情をしたらいいのか判らない僕の口元は、笑みを作った。 僕達の関係は、なんというだろう? 人はそれを恋と呼び、僕達も恋と答える。 身体は繋がらないけれど、心のつながりはある。 僕とロイさんは、そんな恋愛をしている。 「ロイさん、好きって言って? それだけで僕はいくらでも待てるから……」 襞を撫でていた指先に力を込める。 「愛しているよ、アルフォンス……いつか必ず、君を抱く」 声が届くと同時に走った激痛。 脳裏にロイさんを思い描いてやり過ごそうとするも、痛みは半端じゃなかった。無理矢理ねじ入れた指先がぬめりを 帯び、引き抜いてみれば真っ赤に染まっていた。 そのまま、また後孔へと忍ばせる。 ロイさんが抱いてくれるまでは、彼の示した逃げ道しか疼きを押さえる方法が思いつかなかった。 「……もっと好きだって言って、ロイさん」 僕を求める声を、愛しいあなたに抱かれる夢を、せめて見させて欲しいから。 叶わない願望の変わりに、ささやかな夢を。 「願望」H.17.11.27