ひそやかに降り積もる





 湯と共に排水溝へ流れゆく白濁に視線を奪われる。  渦を巻いて交じり合う様に、先程まで交わしていた濃厚な情事がオリヴィエの頭をよぎった。  広いベッドのシーツに数え切れないほどの皺を走らせ、形の違う身体を求め合う姿を上から見れば、こんな感じなのかもしれない。  頭上にあるシャワーヘッドから勢いよく噴き出す湯に身を任せ、濡れそぼった髪を指で梳きながらもう何度も反芻していた男の低音に思いを馳せる。 『ッ……ソンナモノ、あなたが舐める必要はない……っ』  手淫の果てに絶頂を極めた雄が勢いよく精を噴き上げ、筋肉に沿って白い道程を作る様に強く惹かれた一瞬、無意識に唇を寄せていたオリヴィエを留めたその言葉。  射精を終えたにも関わらず萎える様子を見せぬ雄の向こうで、眉頭を寄せたロイと出逢った。  欲情に濡れた表情の中に、言葉を裏切る瞳の存在があった。 「……なら、誰ならいいんだ……?」  目の前のよく磨かれくもりひとつない鏡に映る表情のないオリヴィエの言葉を、反響する水音が打ち消す。  男はいつも体液を舐めさせたがらなかった。それが男が女と交わる際の常だと想っていたが、いつからか物言わぬ瞳の欲求に気がついた。  口にして欲しいと読み取れたのはオリヴィエの気のせいかもしれない。考えたくはないが、自らの欲求かもしれない。  男と不本意ながらも身体の関係とやらになってから気が付いたが、あれだけ嫌悪感を抱いていた男なのに、触れられるおぞましさは初めからなかった。  常に女の影が付きまとう男の巧みな手管に流されただけだと、そう安直に答えが出る問題ではもうない。  最初ならば現実を自分勝手に捻じ曲げ、事実を好きに改ざんできたはずだった。  男が巧み過ぎるからいけないと都合のいい理由をつけておけば、日々の営みの最中に、憎らしい顔を思い出すこともなかっただろう。  今ではもう、頑丈な鎖に絡め取られているかのような窮屈さを覚えている。それは身体のあちこちに散る情事の証を許した頃から、意識し始めたように思う。  髪に触れていた手をゆっくりと下方へ伸ばしてゆく。肌に咲く朱の情痕をひとつひとつ撫でながら贅肉のない引き締まった腹を進み、  控えめな茂みの更に奥へ忍ばせていけば目的地にあたる。  行為の名残か未だにジンジンと疼いている箇所へ触れた途端、ぬるりとしたものが指を伝った。  吐き出されたばかりである、男の精液。吐精の瞬間はこれも湯のように熱いのだろうか。   「……これが、アイツの……」  明るい灯の元で晒される白い指先よりも尚白く輝いて見える雄の生命は、男が絶頂を極めた証。  ――美しいと思った。いくら時が経っても、それは己を魅了し続けるのだろうか。  指先にたっぷりと絡む白濁を恐る恐る口元へ導いたオリヴィエは赤い舌先をくねらせ、一口舐め取った。  口内に広がる何とも言えぬ精の青臭い苦味に、オリヴィエの麗眉が歪んだ。  けして美味いとは言えぬ代物だが、これが男の味なんだと、感銘めいた悦びに身体の芯から震えた。  まだたっぷりと白濁で濡れている指先を赤い舌で舐め取ってゆく。無くなると新たな精を求め自らの蜜口へ指を寄せ、重力に従い漏れ出て来るソレを拭い取り味わう。 「っ、ん……うっ……」  掠れたオリヴィエの声音が出しっぱなしのシャワーに掻き消される。  いつしか湯がぬるく、身体が酷く熱かった。原因を求め一切曇りのない鏡を見れば、碧く澄んだ瞳が欲に潤んでいた。  湯のせいだけではない赤みを帯びた頬、無駄のないラインを描く肢体が細かく震えている。身体が、変化を帯びていた。  ただ精液を舐めるだけの行為が、いつしか己の肉体を弄ぶ動きに変化している。  少なくとも、男と出会う前はこんな熱を知らない。こんな行為など、しようとも思わなかった。 「っ……くそっ、もう……だめ、だ……っ」  反響する己の声の艶かしさは男に抱かれたものと似て非なるもの。  身体を辿る指先は自身のものでしかない。どう真似たって得られないあの快感。あれはただ触れているだけなのに、どうして同じものを得られないのか。  追求して思い当たるのは、いつしか胸に居座り始めた、甘いうねり。 「っ、あ……ん、違う、ちがう……っ」  シャワーの音に卑猥な水音が混じり始める。  重力に従い大腿からタイルへ流れてゆく白濁が、オリヴィエの身体から溢れる蜜と混じりあう。  形の違う身体が交じわうことをセックスという。ならば、二人の身体から出る体液が混じり合ったそれはなんというのだろう。  熱でぼんやりと霞がかる頭のせいで何も考えられなくなる。  気持ちいい、足りない、もっと欲しい、自身でも追いつけぬ暴走した感情に支配され、オリヴィエは体勢を崩した。 「……あまりにも長いシャワーが心配で来てみれば、お楽しみ中でしたか」  瞬間、床に這うべきはずだった身体が掬われた。耳元をくすぐる心地よい囁き。  反射的に閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げれば、先程までベッドを共にしていた男、ロイ・マスタングが映り込んだ。 「……阿呆が」 「一歩でも遅れていたらあなたは怪我をしていたかもしれないこの状況で感謝されども、阿呆と言われる筋合いはないかと思いますが?」  忌々しげに吐き捨てた言葉に苦笑する目の前の男に、オリヴィエの内心は穏やかではなかった。  いつから見ていた? 浅ましい私をどう思う? 疑問が噴き上がる中、それはひとつだって言葉にならなかった。 「……足りないのなら、素直に足りないと言えばいいものを」 「違う、これは」  咄嗟に離れようとしたオリヴィエを、強い力が阻む。 「……私以外で性欲を満たすことは許さない。たとえ、あなたの美しい手であっても……だ」  水だけではないぬめりを帯びた指先を取られかと思うと唇へ運ばれた。  その指はさっきまで自らの身体に埋め込まれ、はしたない動きを繰り返しては淫らな汁にまみれていた。  光の下でいやらしいきらめきを放つ指が男の口内へ消えて間もなく、ぬるんと、舌先に絡め取られる。 「っ、ァ……は、ァ……」  爪先の形を辿り、指の節をなぞる舌先。  ただ舐められている、それだけなのに自らを慰めていた倍以上の刺激にオリヴィエの豊満な乳房が揺れる。 「もういやらしい味がしている……少将?」  バスローブ姿のまま温水に濡れるのも構わず抱き締めてくる。厚い胸板に身体を押し付けられ、首筋をまさぐる男は言葉以上の熱を孕んでいた。  下腹部にぐいぐいと押し付けられた猛々しい雄の感触に、オリヴィエは喉を鳴らした。  じゅくじゅくと熱く疼き始めた中心を宥めようと、無意識に太ももを擦り合わせてしまう所作に、目の前の男が笑う。 「コレが欲しいですか? ……散々食ったくせに、まだ?」 「うる、さいっ……!」  余裕ぶった口調で煽ってくる男もまた、まるで強請るように強張りを腰に押し付けてくる。  互いに余裕のない熱情の中であることがありありと判るから、次に吐き出す言葉に抵抗はなかった。 「くそっ、貴様の醜いものを慰めてやると、言っているっ……はやく、しろ……!」 「言われ、なくても」  鏡に手をつく様に言われ、背後から性急に繋がる。  先に出され残ったままの精液が潤滑剤となって、奥へ奥へと灼熱を導いていく。  己の言葉以上に素直な身体に助けられる。欲しい、欲しい、欲しい。無言ながら雄弁に語るその肢体を、男は遠慮ない力で暴き征服しようとする。  無理やりな癖して、こちらを見つめる熱の孕んだ視線の中には縋るような色が混じっていた。  どこまでも強行にはできない男の優しさが今は腹立たしい。  全てを奪う勢いでこの身体を貪ってくれたら、男のことを考えて悩むこともなくきっと満たされる。  根本まで埋めた途端、引いては突き上げ浅く深く潜り込んでくる灼熱はオリヴィエを、男自身を焦らすことなく欲望のままに蠢く。  間もなく訪れる絶頂を予感して、身体が子宮が震えた。 「身体はこんなにも素直なのに……唇はずっと嘘をついている・」 「ッ、あ……ぅんっ、うる、さい……っ!」 「あなたがいくら否定しようとも構わないが、こっちは捻じ伏せたくなるだけですよ。ほら、今一番イイ顔をしている……この女は誰だ? オリヴィエ?」  顎を強く掴まれ、鏡へと向けられる。そこには誰の目にも明らかな淫らな女と、獰猛な雄の顔をした男が映りこんでいた。  濡れて重くなっているバスローブを脱ぎ捨てた男の引き締まった身体が隙間なく密着する。  容赦なく打ち付けてくる腰に快楽が込み上げ、考えることを放棄する。理性という殻から剥き出しになる心が、身体をより素直にさせてゆく。  顎を掴んだままの指先に吸い付いては噛り付き、甘噛みとは呼べない力を込めた歯で肉を抉ってやれば、端整な顔が痛みに歪んだ。  痛みに萎えることなく更に燃え滾る欲望のありかを見出して、嗜虐心が煽られる。 「……私を、呼んで下さい。たとえ下らないことでも、私はあなたの側にいたい。あなたの為ならばなんだってします」   切実な響きを伴い囁かれる言葉に、脊髄が甘くとろける。全てがどうでも良くなってしまうかのような法悦の嵐に飲み込まれる。  ぐずぐずになったを腰を男の手がしっかりと抱え、もう片方が腹へ回り深く抱き締められると、膨らんだ灼熱が女の最奥に到達し震えたのを中で感じ取った。  解かれて、組み立てられる。男好みの身体へ仕立て上げられ、男の為に作り変えられる魂。  それに悦びを感じて、自らを差し出す。これは何だ?  奥深い所まで突かれて、深紅の唇からオリヴィエの媚声が放たれる。 「な、ら……ああッ! お前……っ、お前の、精液がほしい……ぃっ!」  朱に染まる目元を晒し、鏡越しの男へ肉体がぶつかる破裂音に掻き消されぬよう大声でねだった。  オリヴィエを抱く腕が震え目を見開いた男はすぐに解したのか、淫靡な笑みを唇に刻んだ。  瞳に浮ぶ、幾度と無く見た物言わぬ欲求の躊躇いが溶解し、一滴の喜びがじんわりと広がってゆく。  鏡越しであることが惜しいほどに、それは美しい悦びだった。 「いつからそんなに淫らになったんですか? ……こちらは必至に欲望を堪えていたんだが。あなたが欲するのならば、いいだろう。受け止めろ、オリヴィエ……ッ!」  ずるんと勢いよく引き抜かれた灼熱が欲で爛れた肉を擦り、短い悦楽に身を強張らせながら支えを失ったオリヴィエの身体はそのまま床に伏せた。  大きな掌のなすがままに顔を向けられ、あ、と思うまもなく顔にかかる熱い飛沫に、オリヴィエは目を瞑った。  顔のおうとつ沿って流れてゆく白濁が真っ赤な唇へ辿り着く。舌先で拭い取れば広がる、精液の苦味。  それは自らの身体から掬い取ったそれとは断然に違った。  放出したばかりの精液はただ熱く――内を淫らに焼いた。 「あなたは美しいから、こんなもので汚したくなかった。……男の精液で濡れるあなたもまた、魅力的です」  タイルへ尻をつくオリヴィエに合わせてしゃがみ込んだ男の掠れた声音が、頬を撫で上げる。  顔中に飛び散った白濁を指で掬っては口元へ持ってゆき、無言で開口を示す瞳に従いオリヴィエは口を開いた。  幼子が乳を欲しがるように、ただ無心にそれを舐め取ってゆく。  男は無言で、それを見ている。瞳だけはまるで絶頂の最中であるように、荒い欲情で燃えていた。 「……もう、とうに汚れているさ……」  お前という、淫らな淀みに――言葉にはせず同じ熱に犯された瞳を見つめる。 「汚れの元凶が私であるならば、あなたはとうに私の名を呼んでいるはず。汚し足りないから、あなたは一人でイこうとするんだろう?」  間近で望む、黒い瞳に吸い込まれそうになる。  ゆっくりと落ちて来る唇に僅かだけ首を上げて迎えながら、受け止めた。  上唇をそっと柔らかく吸い上げる口付けは、情熱的に抱きあったばかりとは思えないほど優しかった。  離れてゆこうとする唇を尚も追いかけ、今度はこちらから下唇を吸い上げてやる。 「……お前の女遊びの酷さは、北まで届いているぞ」 「あなたが信じたい方を選択すればいい。……今更、離す気はないことだけ覚えておいてください」  唇の端に落した口付けを最後に、使い物にならないバスローブを手にした男がバスルームから姿を消した。 「私の何を、知っていると言うんだ……青二才が」  未だ出しっぱなしの湯を頭から浴びて、呟いた。  全てを押し流そうとする湯に巻き込まれた汗や体液、男の精が排水溝へ流れゆく。  無色透明なその中では互いの体液が相反することなく交じり合っているのだろう。  それはどこまで共にゆくのか。何故、ここはこんなにしっくりとこない。 「教えてくれないと判りません……恋に狂った男は盲目、なんですよ」 「早く、消えろ……」 「セックス後の女性を一人でしておく男ではないので」  裸のまま再び戻ってきた男の手には乾いたバスタオルが握られていた。シャワーを止めてから柔らかな繊維でオリヴィエの身体をくるみこんで抱き上げる。  ゆったりとした振動に身を任せていると、自然と肩に頭を預ける形になった。もう何度も触れているそこの逞しさに改めて気がつくと、酷いだるさが押し寄せてきた。  押し問答をする気力も無く、大人しくされるがままになりながら肩口に頬を預ける。  情事の後にしては冷めた肌。それとも、己の肌が熱いのだろうか。  無性にブリッグスの峰が、全てを覆い隠さんとする白雪が恋しくなった。  それ欲しさに伸ばした指先に触れたのは、男のシャープなラインを描く頬。  間近で望む瞳の美しさに、何故気がついてしまったのだろう。  知らなければないものと同等だったのに。今更、知らぬふりなど出来るはすが、ない。                                                          「ひそやかに降り積もる」H23.10.10

 

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