悪戯なキス





 穏やかな青い瞳は、意地悪な企みを隠そうともしない。  幾度も引っかかって来たからこそ、今回は「引っかからないぞ!」と、意気込んではみたものの。 「逃げないよね?」  にっこりと笑顔で挑戦を吹っかけてきたハイデリヒさんに、僕は受けて立つしかなく。  というか、逃げたくてもその青い瞳には敵わないのだ。 「……いいよ」  正直、心は穏やかじゃない。今にも破裂してしまいそうな勢いで、心臓が暴れている。  ここが静かとは呼べない、雑踏のど真ん中だったから助かったものの。……いや、だからこその挑戦だった。 「人前でキスさせろ」なんだもの。  普段の彼ならありえない言葉に、僕は目を見開いて正気かと疑いもしたけど、いたって可笑しいところは見当たらない。  まるで日常会話のひとつのように話すから一瞬流してしまいそうになったけど、聞き間違いではないようだ。  いいよ、と言った手前、もう引き下がることは出来ない。ぎゅっと目を瞑って僅かに顎を上向ける。  キスを強請るのは、これが初めてだった。  視界を閉ざしているからか、自然と聴覚が鋭敏になる。  でも、内の鼓動が大きくて、周りの気配を伺う余裕などなかった。  どれくらいそうして立ち続けていただろう。闇の住人となった僕の時間の感覚が曖昧で、長いようにも短いようにも思う。  一向に何のアクションも起こさないハイデリヒさんに首を傾げた所で、肩に置かれた温かい手。  なだらかな肩のラインを辿り、腕を滑って下方へ下がっていく。行き着いた先は僕の指。  すぐに絡んでくる指先に僕も力を入れて、握り返す。 「いつもより緊張してる? 掌が熱い」 「……ハイデリヒさんのせいだよ」  目を瞑りながら呟いたら、瞼の向こうで笑う気配を感じた。 「何で笑うの?」 「君が可愛いから」  耳元で小さく小さく、囁かれて。頬に熱が上がるよりも早く、唇に押し当てられた柔らかく少し湿ったもの。  それはとうに触れ慣れた、ハイデリヒさんの唇じゃなかった。  ……じゃあ、この唇に触れてるのって、何?  恐々と、薄っすら開いた瞼の先に、真っ黒な物体が飛び込んできた。 「うわわっ! 何っ!?」 「猫だよ」  微笑んで「はい」と手渡された黒い子猫を胸に抱けば、にゃあ、と可愛らしい声をあげた。  艶やかな毛を流れに沿って撫でながら、彼を半眼で睨む。  「……もしかして、この子を見せたくて?」 「そう。普通に猫がいるよ、って言うのも味気ないから」 「ハイデリヒさんの馬鹿……」  悪戯を仕掛けるお茶目さは嫌いじゃないけど。  それでも膨れてみせるのは、彼の甘い優しさが欲しいから。 「ごめんね? ……君が好きだから、つい浮かれてしまうんだ。君の気を引きたいから悪戯、したくなる」  だから許して? と今度は正真正銘、ハイデリヒさんからのキスを受ける。  きちんとこの目で唇が触れる瞬間を見届けたから確かだ。優しくて甘いキスは、尖った心を丸くさせて彼への気持ちを風船のように膨らませる。  そうしてもっともっとこれが欲しくなる。ハイデリヒさんのキスは中毒性が高い。  少しだけ背伸びして、形の良い唇にむぎゅって押し付けたら、笑みを形作ったのが判った。つられて僕の唇も弧を描く。  胸元で抱く、腕に爪を立てるやんちゃ盛りの可愛い子猫よりも。 「……好き」 「ん、知ってる」  ……意地悪だけど、ね。                                              「悪戯なキス」H18.1.11

 

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