初春の夜





 どうして一緒に寝ないのか? とアルフォンスに問われた事があった。  その時点で「恋人同士」の枠組みに入っていたエドワードとアルフォンス。 ……理由くらいは察してくれと、エドワードは頭を抱えたい思いだった。  さすがに「俺の下半身の為だ」とは、本心だとしても真剣な瞳を前にしては言えずに、ただ笑って有耶無耶にしたのが二日前。  やりとりをしているうちに眠たくなったのか、アルフォンスは途中でエドワードの部屋を出て自室に戻った。  残念に思いながらも、とりあえずは難を逃れたと安心出来たのはその晩までだった。  翌日、再びエドワードの部屋を訪れたアルフォンスは、前日と同じく真剣な瞳で「何で一緒に寝てくれないの?」と疑問をぶつけてきたのだ。  見間違いでなければ、大きな瞳を潤ませて。  やはり「下半身の為だ」とは言えないエドワード。愛しい弟の前では、スマートな兄、もとい恋人でいたいがために、またしても笑って誤魔化した昨晩。  自分の勝手なプライドが、確実に弟を傷つけてしまった。  愛しい愛しい弟は「僕と寝るのが嫌なんだ」と誤解をして、涙を流したのだ。  ぽろりと落ちていく涙の軌跡を辿る暇があったのなら、弁解の一つや二つ、天才錬金術師と呼ばれるエドワードには朝飯前だった。  が、実際は静かに去っていく背中に声を掛ける事ができなかった。  誰よりも愛しい相手を前にしたらきっと歯止めがきかない。  二人にとって初めての行為にそれなりの夢を抱いてるエドワードは、自分の欲望の赴くままにアルフォンスを抱いてしまうのが怖くて、  一緒に寝ることを拒否していたのに。 「これじゃ、本末転倒だな……」  そして今晩。何十回目の溜息を言葉とともに零しては、アルフォンスの自室前をエドワードは行ったり来たりを繰り返していた。  昨晩からアルフォンスとは一回も顔を合わせていない。避けられているのだ。  お互い軍に務める身の上、休憩中に昨晩のことを謝ろうと何度か足を運んだものの不在で。  家は一緒なのだから必然的に顔を合わすだろうと諦めて帰宅したら、今度は部屋に立てこもりだ。  しっかりと夕飯を作り、一人だけきちんと戴いているのはらしいというか。  ちなみに、避けているからとエドワードの分を作らないわけではないようで、テーブルには普段と変わらない食事が置いてあった。  ここまで避けられていれば正直、顔を合わせ辛い。先程からノックも出来ずに、エドワードはひたすらドアの前で逡巡していた。  嫌でも目に付く場所に設置された時計は、ここに来てからすでに一回りはしている。どうしたら良いのか判らぬまま、時間だけは容赦なく過ぎていく。  両思いになってまだ間もない、これからは誰の遠慮なく愛し合えるというのに、早速こんな状況になるなんて……  昨晩の馬鹿な自分に、パンチを見舞ってやりたい気分だった。 「兄さん」 「! アル……」  突然ドアの向こうから声を掛けられ、一気に思考が霧散する。小さな軋みを立てゆっくりと開いたドアから、アルフォンスが顔を出した。  ラフな普段着の格好をした彼は、軍服を着ている時よりも小さく見えた。  上目に兄を伺い、視線を交わす時間はエドワードの胸を緊張で締め付ける。いざ相手を目の前にしたら、言おうとしていた言葉が  すっぽりと抜け落ちて、ただ見つめあう時間が針の音に合わせて伸びていくばかり。 「……とりあえず、入って?」  半開きだったドアを全開に開いて、アルフォンスはエドワードを促した。  背を向けて部屋の奥へと向かう弟に従い室内へと入ると、ぎこちない動作でドアを閉めた。  もう寝ようとしていたのか、室内は薄暗かった。カーテンの引かれた窓から漏れるかすかな月明かりだけがこの部屋の光明。  互いの姿を確認できる明るさがあれば充分だろうと、電灯のスイッチに触れていた指先を離した。  ベッドに腰掛けてこちらに顔を向けるアルフォンスに、エドワードはどうしたらいいのか迷ったが、とりあえず相手と  向かい合わせになるようにと、ベッドの向かいの壁に足を進めた。大して広くない部屋では、アルフォンスとの間に出来る距離は短い。  壁に凭れて、腕を組む。自然と落ちる耐え難い沈黙が、エドワードの視線を下向きにさせた。 「兄さんは、僕が嫌い?」  口を閉ざし、床をひたすら見つめるエドワードをしばらく黙って見やってから、アルフォンスは小さな呟きで沈黙を破った。 「なっ……そんなことあるわけないだろう!」  つい大声で怒鳴ってしまい「悪い」と咄嗟に口元を掌で覆ったが、アルフォンスはほっとした表情で「良かった」と口にしただけで気にしてはいないようだ。 「一緒に寝るの嫌がってたから、嫌われてるかと思っていたんだ」 「それはだな、アルフォンス……」  先程の勢いはどこえやら、言葉を尻窄みにさせるエドワード。いやらしいことを考えていたんだと、ストレートに言えるわけがない。  だが、それで弟を泣かした手前きちんと話さなくては昨晩の二の舞になると、無駄に口の開閉をする兄に、アルフォンスはにこりと微笑んだ。  時と場合を考えない馬鹿な心臓が、思わずどきりとするくらい可愛らしい相好。 「言って」  拒否は許さない、と言外に匂わしている言葉の強さに、エドワードは渋々と頷いて話し始めた。  アルフォンスを好きなあまりにその身体を愛しみたいと思っていたこと、ベッドを共にすれば嫌だと言われても無理矢理に  抱いてしまうことが目に見えていたから、一緒に眠れないことを――俯き加減で口にした。  上昇する体温を如実に表すだろう頬は、この暗闇と距離のおかげでアルフォンスには見えていないだろう。  自らの欲望を吐露するゆえの身体の震えでさえ、闇は隠してくれる。電気を点けないでよかったと切に思った。  しかし、アルフォンスの瞳は闇では阻めない。向けられる視線が痛かった。  ひとつひとつ暴かれる欲望を、彼はどう思っているだろう? 嫌悪されてはいないだろうか?  ……気になったが、怖くて顔を見られそうにはなかった。  エドワードの視線は、ひたすら床を這い続ける。 「……僕のこと、考えてくれてるのは嬉しいけどさ。恋愛は一人でするもんじゃないだろ? 僕の気持ち考えた?」 「考えたから、離れて……」 「そんなこと誰も望んでない。兄さんの妄想を押し付けないで」  ひたすら下半身の我慢を重ねたゆえの気遣いを、アルフォンスは一言でバッサリと切ってくれる。  それはないんじゃないか、弟よ……内心で情けなく涙を流しながら、肩を落とすしかない。 「兄さん」  呼ばれてのろのろと顔を上げると、アルフォンスが手招きをしていた。その顔に、自分の恐れていた表情がないことに深く安堵した。  気まずいながらも重たい足で近づくと、下を指差される――ここに座れということなのだろう。  一抹の疑問を持ちながらも、とりあえずは弟の言うとおりに床であぐらをかいた。  見上げればすぐそこに弟の瞳がある。どく、と心臓が音を立てた。 「しっかり僕を見て、僕を愛して。……おのずと判るはずだよ、僕も兄さんが好きだって事……だから、欲しいって思ってることを」 「ア、アル……本当か?」  小さな唇から紡がれた言葉の全てが、全部自分の都合の良い夢なのかもしれないと、エドワードは頬を抓りつつ問いかけたが。  確かな感覚が痛覚を刺激したと同時に、目の前にある苦笑した顔がこくりと頷くのを見て、胸にどうしようもない歓喜が湧いた。 「しっかりしてよね、お兄さんなんだから」  ぽんぽんと子供をあやす手付きで頭を撫でられるのは癪だったが、その感触は悪くない。  甘えるようにアルフォンスの細い腰に抱きついて、ぐりぐりと腹に頭を押し付ける。衣服越しの温かな熱が、アルフォンスの匂いが  エドワードを包み込む。くすぐったいと頭上で笑うアルフォンスが可愛くて、何度も腹に頭を擦りつけた。そのつど、掌が頭を行き来していくのは気持ちが良い。 「ね、こんな雰囲気も嫌いじゃないけど……」  くすくすと笑みながら、小さな手が頬に添えられた。  そっと上向けられるがままに顔を上げると、額に口付けられる。ぽつ、とそこに熱が灯った。 「……しない?」  甘い囁きが、脳を、理性を焼いた。芯をずくり、と苛む甘く激しい衝動。  見開かれるエドワードの瞳の中、アルフォンスはそんな兄の様子を前に可笑しそうに笑っている。  伸ばした掌で、円やかなラインの頬に触れると、自らの熱よりも熱いことを知った。  きっとこの頬は目にも鮮やかな赤に染まっているのだろう。光の下で見られないことが、残念でならない。 「今までだって誘ってきたんだよ? もう、恥かしい思いはさせないでよね」 「……! ア、アルっ!」  内から湧き出す衝動に押されて、一瞬理性を飛ばしたエドワードはアルフォンスをベッドに押し倒していた。  見上げていた視線から見下ろす視線へと変わり、押し倒した拍子に肌蹴た襟元にくらりと眩暈を覚える。  唐突なエドワードの行動にアルフォンスは瞳に恐れの色を浮かべたが、エドワードを気遣ってか一寸後には綺麗な笑顔を愛らしいかんばせに浮かばせた。  僅かな身体の震えまでは隠しようがないのか、健気な弟に気がつかない振りをして額を覆う髪をそっと掻き揚げる。  露になった白いおでこに口付けて、次いで頬にも口付けを落とす。  流れるような仕草で唇にもキス――の寸前、ちらりと伺うようにアルフォンスを見ると、照れくさそうに笑んだ。 「いいよ、キス……頂戴?」  興奮を計るパロメーターがあるのなら、勢いよく針を振り切っていただろう。それくらい、今のエドワードには心身共にキた。  甘い言葉を吐いた唇をめちゃくちゃに蹂躙して、甘い吐息をすすり、乱れさせてしまいたい――果てない衝動は止まることなく身を満たしていく。  それに従うのは、現時点では最も簡単で本能的なこと……無視をするには、多分に経験が足りなかった。渦巻く激しさに引っ張られるがまま、  エドワードはやや乱暴にアルフォンスの唇を奪った。柔らかな弾力がエドワードの激しさを受け止める。   「ん、んっ……!」  いきなりの口付けにアルフォンスは身体を強張らせたが、抵抗せず瞼を閉じて応えようとしてくれる。  その様子がエドワードの欲望に新たな火をつけ、その熱を移すかのように口付けに熱がこもっていく。  何度も唇を押し付けては角度を変えて深く口付け、時折舌でその小さな唇を舐め回す。  乾燥していた唇がじょじょに湿り気を帯びてまた違った感覚を口付けから得て、鼻から抜ける甘い声はエドワードの耳を楽しませた。  アルフォンスも感じているのか、強張っていた身体から力が抜けて口付けに身を任せている。 「アル、口開けろ……もっとキスしたい」  走り出した欲は触れるだけのキスで満足するはずもなく、もっともっととそれ以上を望んで、気がついたら更なる誘いをアルフォンスに仕掛けていた。  したい、もう一度囁いて、上唇と下唇の間を舌でねっとりとなぞり、甘く吸い上げる。  高い音を立てて唇を離せば、閉じていた瞼を開いたアルフォンスの瞳と目があった。  間近で臨むその瞳は、しっとりと濡れた蜜色をしていた。――たまらなくそそられて、熱がまた上昇する。 「んっ……もっと、キスして……」  思わず、ぎゅっと小柄な身体を抱き締めずにはいられなかった。 「お前っ、ヤバいくらいに今晩は可愛過ぎるぞ……!」 「それって、普段はっ……!」  ムッとした言葉を全て言わせずに、エドワードは再び口付けた。  尚も文句を紡ごうとするアルフォンスの吐息ごと唇で受け止め、胸を叩く両手を片手で捕えてはもう片方の手で逸らされないよう顎を固定する。  開いた口から舌を差し入れるのは容易く、すんなりと招き入れるアルフォンスの口内は熱かった。  舌先で探るように蠢き始めれば、アルフォンスの抵抗は一気に弱まった。その隙をついて舌の動きを大胆にさせる。   「ん、ん……んんっ」  頬を内側からそろそろと撫でると、重なった身体が波打った。アルフォンスはここが弱い。舌先でくすぐってやると、捕えた掌が拳を作るのがわかった。  眉根を寄せて耐える表情は色めいて、少年らしさが一気に払拭され妖艶ですらある。アルフォンスの、普段とのギャップがいやらしくて、  それを生み出しているのが紛れもない自分だという事実が雄の本能を刺激してやまない。  上顎もアルフォンスの弱い部分だ。舌で撫でながら突いてやると、眉間の皺が深くなった。  深いキスを交わすのはこれが初めてではないエドワードは、的確に弟の感じる部分をついてキスに酔わせる。  そのうち、自ら舌を求め伸ばされるまで、口内の愛撫は丁寧にかつ焦らしたりはしなかった。 「ふ……んっ、ん……っ!」  おずおずと伸びてきた舌先を、すぐさま絡み取って吸い上げると、鼻に掛かった声が一層甘さを増した。  相手の舌先に円を描くようにくるりと触れて、根元から裏を舐め上げる。舌だけでなく、口内も存分にエドワードは蹂躙していく。  深い口付けを交わすうちだんだんと息苦しくなり、呼吸をすべく一旦離れたアルフォンスの唇は濡れて、エドワードを甘く誘いかける。  満足に呼吸もしないまま、引き寄せられていくエドワードに、小さな声が動きを阻んだ。 「兄、さんっ……うで、はなして……」  痛いから、と告げられた言葉に一瞬迷ったが、うっすらと涙の滲む眼差しに射止められて解放することにした。  途端、首元に回される温かい腕の感触を覚えて、抱き付かれていることを知る。繰り返される荒い吐息が、耳に熱を吹きかける。 「一方的、過ぎる……もっとペースを合わせてキスしてよ、苦しいだけ……」 「悪い。大丈夫か?」  少しだけ離れ、顔を覗き込んで尋ねれば引き続き上気が残っているだろう顔でじっと睨まれた。  潤む瞳がその役目を果たすには、少々迫力が足りなかったが……目尻に口付けて、宥めるように頬をそっと撫でる。  「うん……も、平気だから……」  頬に触れるエドワードの手に手を重ね、アルフォンスは目を瞑った。キスを促すかのような、僅かに開いた口元から覗く赤い舌が扇情的だった。  「キス、するぞ?」囁き混じりの問いかけに、小さく頷いたのを見届けてから、エドワードは唇を重ねた。  開いた隙間を縫って口内へ侵入すると、すぐさまアルフォンスの舌が絡み付いてきた。くにゅくにゅと不慣れな仕草で表面を  なぞられては吸い上げられ、奥へと引き込まれた舌先を噛みつかれる。いつも以上に積極的な愛撫はけして上手いとはいえなかったが、  拙い口付けは確実にエドワードの劣情を掻き立てた。アルフォンスの舌にされるがまま弄ばれ、たまに悪戯に舌先に噛み付く。  争うように絡みあう互いの舌が立てる淫靡な水音は、次第に濃度を増して部屋に響いた。  快楽を貰い、快楽を与え、快楽を共有する……舌先から伝わる感覚が身体中を甘い痺れで満たして、下肢の一点へと集中していく。  痛いくらいに張り上がった男の部分を感じながら、エドワードは名残惜しくも唇を離した。物理的に唇が離れても、互いのそれを  繋ぐ唾液の糸がしばらく二人を結びつけ、ぷつりと切れた糸はアルフォンスの頬をとろりと汚した。 「んん……っ」  それが熱い頬には冷たかったのだろうか、落ちた感触に身を震わせて瞼を開いたアルフォンスがエドワードを見上げた。  溢れんばかりの艶を瞳に湛えた眼差しは危うく、ずくり、と下肢を新たな衝動が襲う。  頬に落ちた唾液を指先で掬ってアルフォンスの口元へと運び、差し出される濡れた指先を、視点の定まらない瞳が見やりエドワードを見る。  意図が判ったのか、彼は黙って指を含み舐め取った。見上げる視線をエドワードに貼り付けたまま、見せ付けるように舌先で嬲られてはたまらない。  音を立てて溜まった唾液を嚥下して、指先を抜き取った。 「お前を抱く。……嫌だと言っても、止めないからな」  覗きこんだ瞳の中に、大きくエドワードの姿が映し出された。そんなことにまで征服感を感じてしまう己の単純さに内心苦笑する。  重ねた身体を擦り寄せて、己の状態を知らしめれば目に見えてアルフォンスは身を強張らせた。  だが、それも一瞬のこと……背中に腕を回して更なる密着を望む彼の身体は、エドワードと同じ反応を示していた。  互いを求める熱源の確かな熱さが、今はただ嬉しかった。 「僕も兄さんが、ほしいから。初めて、しよ……?」  最後の方は小さくて聞き取り辛くもあったが、縮まった距離のおかげで聞き逃すことはなかった。 「好きだ、アルフォンス」 「僕も」  小さく囁きあって目を閉じる。今晩何度目かの口付けはとろけそうに甘く、柔わい熱にどうしようもない愛しさを感じて繰り返し啄ばんだ。  それだけでは熱を満足させるには足りず、自然と口付けは深くなる。  密着した身体はお互い負けないくらいに熱くて今も上昇を続けていた。燃えてしまいそうなくらい、熱くて熱くてたまらない。  初めて暴いた肌は白く、熱かった。  初めて聞いた、快楽の濡言はとても甘く。  初めて貫いた身体は、絡みつくように受け止める熱さになけなしの理性が飛んだ。  一瞬一瞬が特別で初めての夜は、焼け付くような熱と愛しさに支配されて、幸せとしかいいようがなかった。   「ううっ、痛い……」  ベッドの上で唸る弟につい頬を緩ませたエドワードの眉間に、分厚い本がめり込んだ。  タイミングよく角がぶつかったものだから、その痛さも半端ではない。  掌で顔を覆って激痛で床をのたうち回るエドワードを、本を投げた張本人のアルフォンスが冷めた眼差しで兄を見下げる。 「僕が実感している痛みは、それぐらいじゃすまないんだけど……この本棚にある本全部と、その棚でチャラにしてあげるよ」  え、それはどういうことですかアルフォンスさん?  不敵に笑んだアルフォンスに問いを口にするよりも早く、飛んできた本を咄嗟に避けて部屋から飛び出したエドワードは扉を閉め、  額に浮いた汗を袖で拭いつつドアに背を預けると、ドン! と物凄い音と衝撃が背中を打った。 「あいつ、マジで本棚投げたな……」  じーんと痛みで痺れる背中を曲げながら、それほど痛かったのかと……昨晩の行為を思い浮かべて、また頬を緩ませてしまう。  あの何とも言えない幸せな時間は、今まで経験したことがなかった。目も眩む快感の波は、そうそうに忘れられそうもない。  確かに、性行為が初めてのアルフォンスは尋常でなく痛がっていたが……する、と決めた以上引くに引けず。というか、暴走してしまって  後半はもう遠慮なく致していたわけで、エドワードに悪があるのは誰の目にも明らかだ。  ……本棚を投げる元気があるのなら、大丈夫だろ? と思わなくもなかったが、それは黙っておくのが賢明な判断だろう。 「……俺だって初めてだったんだ、仕方ないだろ」  ぽつりと呟いて、部屋とは違い物静かな廊下に溜息を落とした。  アルフォンスだけが初めてなわけではないのだ。ただ一人、アルフォンスだけを愛し続けていたエドワードもまた初めてで、  今までどんな美女に言い寄られても無下にしてきた。生涯、抱くのはアルフォンスが最初で最後でいいと、 密かに決めていた。  それでも、男としての矜持とやらが働いて、初めてだと知られるのは妙に照れくさく、ここにアルフォンスがいないことはエドワードにとって幸いだったが。  優しい弟は、それを知っても馬鹿にせず、むしろ嬉しそうに顔を綻ばせるのだろう――自分がそうだったみたいに、  相手の初めての存在になれた幸せは、表現のしようがない。  今は秘めたる事実を、口にするのはいつにしようか?  幸せを先伸ばしにするのも悪くない、二人の関係はこれからなのだから。 「静かになったら、責任とって面倒見るか」  本の襲撃など、幸せの代償だと思えば安いものだ。だだ、今はまだ痛むこめかみに室内へ足を踏み入れる勇気は湧きそうにない。  がたがたといまだに騒音を立てるドアからして、アルフォンスの怒りは当分冷めることはないだろう。 (さすがのアルフォンスでも、二度も本棚は投げねーだろ……多分)  弟の部屋には本棚がひとつしか置かれていないという事が、エドワードにとって幸いだった。                                                            「初春の夜」H18.1.11

 

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