思い出





「綺麗だねえ」  ひたすら感嘆の声を上げては前方から目を離そうとしないアルフォンスに、エドワードはこっそり苦笑した。  何事も素直に、思ったことを口に出来るのは彼の美点だ。時折、その素直さが羨ましく思う。  彼への気持ちを少しでも言葉に出来たら、どんなに心が楽になれるだろう。 「お前のほうが綺麗だ」なんて思っていても、口には出来ない自分が歯がゆい。  どこぞの大佐殿なら素で言ってのけそうな台詞はエドワードの柄ではない。  素直な魂の存在は目の前の光景よりも目を惹いてやまないのに。  伝えたい気持ちとは裏腹に、口は開きそうになかった。 「こんなに赤い世界が綺麗だとは思わなかったよ」  がらんどうな鎧を鳴らして木製の柵へと凭れかかるアルフォンスの、鈍い輝きを放つ全身が燃えるような赤に染まっていた。  触れれば火傷しそうで触れられない――まるで今の自分達の関係を表しているかのような、微妙な距離感を作る存在へエドワードは目をやった。  瞬間、煌々とした光の奔流が一気に視界を赤く染め、あまりの眩しさにたまらず手で光を遮った。  太陽を夕陽と呼ぶ、落陽の時間帯。丘から臨む、遥か遠くの海面に引かれた地平線へと飲み込まれていく夕陽は、  アルフォンスが感嘆するのも頷けるくらい美しい。赤い波が打ち引く砂浜、宝石を散らばせたかのような光輝く水面、頂点へと向かうにつれ  赤から漆黒へと繋がる複雑なグラデーション……エドワードはしばし目の前の光景に見入った。 「確かに綺麗だな」  潮風に髪をなびかせながら呟いたエドワードに、アルフォンスは「うん」と嬉しそうに頷いた。  そういう素直さが夕陽よりも「綺麗」だと思わせる美しさなのに、本人は気がつかないでいる。 「たまにはゆっくり世界を見るのもいいね」 「そうだな」 (俺は世界よりお前を見てる方がいいんだけどな……)  アルフォンスを前にすれば世界なんてただの土台だと、心の中でどうしようもない事をひとりごちる。  目の前の風景のように、五感に訴えかけるものはあれど、アルフォンスには敵わないのだ。  そっとアルフォンスの鎧に触れた。火傷しそうで触れられないと思ったそれは、実際には触れただけで火傷するようなモノではない。  互いを想い合う気持ちがあるからこそ、必要以上に狭められない距離は――旅を続ける二人の、暗黙の約束だった。  この旅が終わるまでは気持ちを胸に秘め、ただ前を見て歩いていこうと、互いの決意を言葉なく感じ取っていた。 「……行こうか、兄さん」 「もういいのか?」 「うん。また見られるでしょ? だから今しか出来ない事が先……早く、行こ」  身体に触れているエドワードの手へ自分の手を重ねて、アルフォンスは小さく呟いた。  手袋越しに重なった鎧の手は固く冷たく、幼少時に何度も触れていたアルフォンスの、温かい熱は感じ取れなかった。  重なる手と手の温度差が、これからの旅路への決意を奮い立たせてくれる。  必ず戻って互いのぬくもりを感じあう未来までは、これが二人の今出来る精一杯の愛情表現だった。 「ああ」  触れていた手に一瞬だけ力を込めて、アルフォンスはエドワードの手から逃れた。歩き出した弟の背は、相変わらず赤い。  アルフォンスに触れていたエドワードの手が、名残惜しげに握られる。 「好きだ、アル」  小さな囁きは遠くなりつつある弟の背に届くことはない。ゆっくりとエドワードの足も動き出して、アルフォンスの後を追った。  いつまで続くか判らない旅路の先に、寄り添う未来が待つと信じて、けして足を止めることはないだろう。  長い長い旅の合間の赤い世界に包まれた思い出は、確かに幸せな未来へと続いていた。 「兄さん?」  聞きなれた声に名を呼ばれエドワードの意識が一気に覚醒へと向う。  瞼を押し上げた先、視界いっぱいにアルフォンスの顔が映りこんだ。 「!?」  まるでキスの距離を思わせる近さにエドワードは目を見開く。いつの間にか寝ていた自分を、アルフォンスは覗き込んでいたらしい。  そんな兄の驚いた表情に笑いながら、弟は「おはよう」と暢気に挨拶をしてくる。その小さな顔がやけに赤かった。  具合でも悪いのかと、掌を頬へ伸ばしかけて気がつく。アルフォンスの顔だけではない、伸ばした自分の手まで赤い。  辺りを見渡せば、一面夕陽に照らされた地面が目に映った。 「…もう夕方、か。……随分と懐かしい思い出を夢に見たもんだ」  起き上がったエドワードの目に真っ赤な光が容赦なく襲う。今まさに夕陽が沈む所だった。 「どんな夢?」  エドワードの言葉に興味を惹かれたのだろう、アルフォンスが瞳を輝かせて見つめてきた。  鎧だったアルフォンスと旅をしていた時に立ち寄った港町で、並んで夕陽を臨んだ思い出。  同じ想いを秘めながらも、けして言葉にはしなかったあの頃は――。 「どんなおとぎ話にも負けないプラトニック・ラブだったな……」  今とは大違いだ、とエドワードは笑った。  もし過去へと飛ぶことが出来るのなら、あの時の自分へ「望んでいた未来の元に立っているぞ」と我慢を労ってやりたい。 「ちょっと、一人で納得しないで話してよ」  ふくよかな頬のラインを風船みたいに膨らませたアルフォンスが顔を寄せてくる。 (あ……なんか迫られてるみたいな感じ?)  話せと真剣な眼差しで促すアルフォンスとの距離に、やましい妄想がエドワードの頭に過ぎった。視線を奪う柔らかそうな頬に、キスしたい衝動がむくむくと膨らんでいく。  昔の反動か、衝動を堪えることが苦手なエドワード。  衝動を認識してから行動に移すまでの時間は、然程掛からなかった。 「ちょっと!?」  突然始まったキスに頭がついていかないアルフォンスは、エドワードのされるがままにキスを受ける。  そんな弟好機とばかりに、柔らかな頬の感触をじっくりと堪能すべく、何度も何度も口付けた。  自分の置かれた状況を漸く把握したアルフォンスから頬を叩かれても抓られても、エドワードはやめようとしなかった。  甘い口付けの前でそれらは些細な痛みにしか過ぎない。 「っ、いい加減にしろって!」  繰り返されるキスの応酬に、さっきよりも顔を赤くしたアルフォンスが両手で胸を押してきた。  そんな弟も可愛いなと思いつつも、そろそろ本気の怒りが見え隠れするアルフォンスに引き際を感じて、惜しみながらもエドワードは離れた。  と見せかけて、今度は小さな唇に軽く己のそれを押し付けた。  アルフォンスの柔らかい唇の感触は、もっともエドワードの好むもの。 「終了、な」 「……兄さんのキス魔」  間近でニヤリ、と笑うエドワードに、アルフォンスは赤い顔のまま睨みつけた。  それすらも兄の心をくすぐる仕草だと知らない彼は、無意識の愛され上手だとエドワードは思う。 「喜べ、お前専用のキス魔だ」 「バカじゃないの」  ふいとそっぽを向くアルフォンスに笑って、小柄な身体を伸ばされた自分の足の隙間へと座らせ、背後から抱き締めた。  暴れるかなと構えるも、予想に反して大人しく収まるアルフォンスの項は、夕陽に当たっていないのに真っ赤だった。  柔らかな髪に顔を埋めて、身体全体でアルフォンスを感じる。あの頃の自分達にはけして出来なかったことだ。  旅を終えて手に入れたのはかけがえの無い大切な存在は、器を変えても魂の美しさは変わらなかった。  不意に下方から髪を引っ張られて思考が弾ける。視線を下向けると、じっとこちらを見つめるアルフォンスの瞳と目が合った。 「どうした?」 「さっきの続き。どんな夢をみてたの?」 「ああ……ただ前にもこうして夕日を眺めていた時があったなって」 「ん……? あー、そういえばあったね。海見てたときの」  頷けば、目の前にそれが広がっているかのように、アルフォンスは目を細める。 「綺麗だったね、まだ胸にずっと残ってるよ、あの時のこと」 「お前中々離れなかったもんな。やけに印象的だったみたいで夢にまで見たんだろ」 「ひど。そーいう兄さんだって、僕に負けず劣らず見てただろ」  振り返って唇を尖らせるアルフォンスが可愛くて、つい唇を近づけたエドワードだったが。  瞬時に何をされるか悟ったアルフォンスが顔を逸らした事で、見事にスルーされた唇は代わりに髪へとキスを送ることになった。 「アルフォンス~」 「さっきしたでしょ、もう駄目」  仕方なくアルフォンスをぎゅっと抱き寄せて、エドワードは前方へと目をやった。  山の峰へと沈み行く夕陽が空を、地を赤く焼いている。世界を赤で埋め尽くす瞬間は、今も変わらず美しい。 「どこで見ても、やっぱり赤い世界は綺麗だね」  素直に感嘆の声を上げるアルフォンスも、あの頃から変わっていない。  変わらない赤の世界、変わらない綺麗な魂――変わったのは、二人の関係。  望んだ未来に立つ自分達は、もう何も堪えることはない。 「今」は変わらない思い出のように、不変の法則に縛られなくてもいいのだ。 「お前のほうが綺麗だよ、って。あの時、すげえ言いたかったんだ」 「……もう、言葉を我慢しなくてもいいんだもんね」  身体に回されているエドワードの手の上に、アルフォンスが手を重ねた。  今はもう温かなその手はエドワードの体温と馴染んで、二人分の熱を生み出す事ができる。重なってきた弟の手を包み込むように触れて握る。 「ああ。幸せとしか言いようがない」  自由に愛を伝えられる世界を「土台」と言ってのけた思い出の中の自分が、今更ながらに恥ずかしく思った。  アルフォンスと共に生きる世界が、愛しいと思わないはずはないのに。                                                                        「思い出」H17.11.17

 

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