蜘蛛の糸





 同じ金の瞳は言った、「好きだ」と。  求める手は容赦なく、蜘蛛の糸のような緻密さで獲物を翻弄する。  甘い匂いにふらふらと引き寄せられた愚かな獲物は、自身の運命を呪いながらも好きで好きでたまらなかったから、逃げることはやめた。  罠の王と向き合った獲物も同じ瞳で言った、「好きだ」と。  勝利の女神を得た男の笑顔は自信で満ち溢れ、暗闇でも輝いて見えた。 「認めちまえよ、俺が好きだってこと」  兄さんの巧みな罠に自ら引っかかって身を差した僕は、気が付けばベッドの上で耳朶を食まれ吐息を吹き込まれていた。  ぞわりと生理的なモノに従い身を捩れば上に乗る男が肩を揺らして笑う気配。金の目が細められ「可愛いな」と愛しげに呟くから、  たまらず身体を震わせると今度は大きな腕で抱き締められた。  密着して知る、服越しの体温は燃えてしまいそうなくらいに熱かった。  言葉以上にリアルに伝わる熱が二人の間に流れるのは兄弟の情だけではないことを表しているようで、罪に煽られた奥底が甘く疼く。  この世のモノとは思えないこの甘さはヤバイ。好きだと呆気なく白状し全てを放り出してハマリそうな自分を叱咤した。  自ら罠にはまった手前、逃げる気はないけれど、素直でいてやる気はなかったから。  男というプライドと個人の意地と血の罪悪感。手招きする甘い導きに揺らぎそうになりながらも、僕の中にある妥協できない大きなカタマリが、  相手の意のままに従うことを拒んでいた。更にその感情を剥いてみれば、一線を越えた先にある未知なるモノに対する怯えが現れる。  大きな手に手を重ねれば、きっと世界は変わる。変わるということは、必ずしも良い結果を生むとは限らない。  今まで見てきた世界が急変する可能性を秘めた一瞬に、踏ん切りがつかないんだ。いくら好きでも。大好きで大好きで自ら罠にかかってみせたって、恐いものは恐い。  僕を見下ろすのは兄の顔を捨てた、男。  一秒も逸らさない金の瞳の熱さは見えない鎖のようで、身動き一つ出来なかった。  見た事がない艶やかさを持ち男として堂々と振舞う様は格好いいとしか言いようがなく、悔しい。 「アルフォンス、想像しろ。……俺達がこの先、どうなるかを」  艶かしく撓る唇に目を奪われる。 「……どういう意味?」 「キスして、セックスしてる所を、想像してみろ」 「は……?」  あからさまな卑猥な言葉に、ドクンと大きく胸が跳ねた。 「お前、驚きすぎ」と重なった身体から盛大な鼓動を聞き留めたらしい兄さんが耳元で苦笑する。  今更、ソレを知らないって嘯く気はない。兄さんの蜘蛛のような罠に引っかかった時点で、そういうことは想定済みではあるけれど。  だからと言って「はいそうですか」と大人しくいられるほど、僕は場慣れなんてしてない。  というか目の前のひとが初めて、なのだ。 「素直に俺が欲しいって言いたくなるぜ、絶対」  受けてもいない賭けの向こうにもう勝敗が目に見えているかのように話す兄さんが癪で、感情が先走ってしまった僕は深く考えることなくあっさりと頷いてしまった。 「……いいよ、受けて立つ」 「想像だけでイかせてやる」  容赦しねぇと牙を向いた雄の顔に胸を鳴らした時点で、僕の負けは決定していたのかもしれない。  まずはキスをしようか、そう甘く囁かれただけで呆気なく心は陥落したのだから。    身体の奥底までをも焼き尽くすような灼熱に、身も心も翻弄される。  深く抱かれた腰は自身の制御もきかず男の手に擦り寄り艶かしくうねり時に跳ねた。  暗闇でも輝きを失わない金の瞳が、挑みかけていた。 「愛してるんだろ、俺を。いい加減言えよ」  兄弟という壁を打ち砕こうとする兄という顔を捨てた男の、初めて見る雄の本能。牙を向く獣のような荒々しい所作。  生活を共にしている僕にとってシャツから覗く白い肌なんて見慣れたものだったのに、均整のとれた肉体は興奮を煽り心と身体は激しく猛る。  縋るように逞しい背に腕を回しては、自ら快楽の奔流に呑まれてゆく。  瞬間、真っ白な世界に放り出された。体感したことのない痺れと身体を襲う不思議な浮遊感に――快感。  今まで身体を支配していた熱いモノが一気に外へと吐き出されるがままに身を任せ、声にならない悲鳴を上げながらも霞む目で必至に兄さんを見ていた。  僕を見つめる瞳があまりにも優しくて、濡れた金色がすごく綺麗で、見蕩れてしまった。  一人で放り出された真っ白な世界の中、熱いものを吐き出し冷えていくにつれ強まるはずの孤独感はなく、その甘ささえある  眼差しに包まれて恐らく僕は生まれてはじめての幸せを味わったと思う。  こうも簡単に大きなカタマリが溶け僕が恐れていた先を越えるなんて。  もう戻れない。この幸せを心と身体で知ってしまったいま、もう我慢出来ない。  好き、大好き。世界中にただ一人の兄さんを、愛してる。  欲しくて欲しくてたまらない、想像だけじゃ物足りない。 「……お前は俺の事、愛していると……思っていいのか?」  肩を上下させる僕に向かい問いかける兄さんの顔が、今までの自信が嘘のように不安げに揺れていたから、腕を掴んで言葉よりも先に  兄さんへの気持ちを吐き出した場所へ招く。早く早く早く、愚かな獲物に牙を立てて暴いて欲しい。  精のぬめりを、僕の気持ちを。 「……素直になれよ、馬鹿」  そう言って僕を暴いた兄さんは、嬉しそうに笑ってキスをしてくれた。  想像以上に柔らかい感触が気持ちよくて、自らも吸い付いた。ほどけてゆく心からたくさんの気持ちが解き放たれ、どれだけ僕が  兄さんのことを好きだったか改めて知る。こんなにたくさんの気持ちがあったなんて、自分でも不思議だった。 「……兄さんが目で好きだって言っていたように、僕も目で言っていたでしょう?」  でも、素直になるのは癪だったから、間近で囁いてやった。  肩を竦めて不満そうな表情も、強い目で裏切られる。そう、この目に引っかかったんだ。言葉よりも熱い気持ちを孕む、金の瞳に。  きっと僕にしかわからない、弟の特権。罠に引っかかった僕も同じ目をしていただろうことは、誰よりも側にいた兄さんだったら判るはずだ。 「くそ、兄弟だからって、甘えるなよ……」 アルの甘えには弱いんだよ、そう頭をかいた兄さんが可愛くて、意地も吹っ飛んでしまった。  罠をしかけた本人のくせにどこまでも僕に甘いひとへとびきりのキスを送ろうか。  素直じゃない僕たちの、言葉以上に素直な瞳を見つめながら。                                                                      「蜘蛛の糸」H20.10.2

 

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