その目が欲しいと言っている。 その指が触れたそうに伸ばされる。 「それ」に気がつかない振りをして、僕は兄弟を続けるのだ。 ようやく知ったリアルを感じるために。 「それだけで足りるの?」 愛しむように髪に触れる指先が僕の言葉に震える。 椅子に座る僕の背後に立つ兄さんの表情は判らないけど、狼狽しているだろう事は想像がつく。 「何を言ってるんだ、アル?」 出来る限り感情の揺らぎを抑えたと容易に判る声。兄さんは自分を隠すのが下手だ。それが僕絡みだと尚更だった。 だって兄さんは僕の事を兄弟としてでなく、一人の人間として好きなのだから。 熱の篭った眼差しで毎日見られていたら相当鈍くない限りそれが何を意味しているかなんて、気が付くに決まっている。 兄さんの綺麗な金の瞳は誤魔化しきれていないんだ、僕への想いを、いつも。 少し煽るだけで空気に怯えが混じり、ぴりぴりと肌が粟立つ。 ああ、これが鎧の身体では得ることの出来なかった「感じる」ってことなんだ。自分の肌で感じる、なんて素晴らしいことなんだろう。 きっと今の兄さん、苦しそうに顔を歪めてる。僕だけが見られるその顔を求めて首だけで背後を振り返った。 出迎えてくれたのは飢えに飢えて息絶えてしまいそうに歪んだ、想像通りの表情で。 獲物を前にしながらも自分で狩りをすることの出来ない弱い獣のような兄さんに、普段の自信家でプライド高い姿は見当たらない。 情けないとすら思える表情に僅かな罪悪感と強大な興奮が去来する。内に滲むエゴに彩られた醜い感情に心と身体が悦びに震え「感じる」という感覚に酔いしれた。 でも、まだ足りない。失っていた分までもっともっと、僕を感じさせてよ兄さん。 「顔に書いてあるんだよ。足りない、って。ね、何に飢えてるの?」 「! お、まえ……」 見開かれた目がぱっと色彩を帯び、誰もが恋だとわかるほどに鮮やかな反応が初々しい。 突然、露になった自身の感情に対応しきれてないのか、無防備な表情を見せる兄さんが普段よりも幼く見えた。 砂糖菓子めいた甘い感情が浮かぶ兄さんの瞳をしばらく見つめたあと、無言で前を向いた。 見ていられなかった。 兄さんの瞳がすごく綺麗で春のように暖かかったから、なんだか僕が汚く思えて。 心臓が常を外れた調子で鳴り響いている。 ――鼓動が奏でるモノが兄さんと一緒の感情を生み出していることに気付いて、もうどれくらい経っただろう。 「誰の為を想っていると……っ」 切羽詰ったような口調でアルフォンス、と名を呼ばれて抱き締められた。 いつの間にこんな熱を持っていたの、兄さん。 世界中の幸せを集めたかのような幸福感をもたらすこの場所が心地よかった。首筋にかかる吐息が僕の心までも甘くくすぐって、噴き出でしまいそうになる。 僕の、兄さんへの想いを。 「……弟である僕の為、だよね?」 寸でで押し留めた「好き」を心の中で呟きながら、僕は言葉で一線を引いた。 びくん、と震えた腕につられて振り返って見上げた兄さんは、酷く傷付いた顔をしていた。瞳に暖かい色はもうない、あるのは深い絶望。 一気に体温が失われるほどにぞっとした、僕は最愛の兄さんを傷つけたんだ、って。 嫌われたかもしれない……頭の中、僕に背を向ける兄さんがリアルに浮かんで壮絶な喪失感に目の前が一瞬真っ暗になって吐き気がした。 嫌だ、嫌だ。側にいて兄さん……!! 精一杯の叫びが体内でこだまし、伝えたい人には届かない。 心臓が破裂する勢いでドクンドクンと鼓動し、血がざわめき手足が震える。この感覚は、欲望を高め吐き出した瞬間に似ていた。 真っ黒に塗りつぶされる心に、今、最高潮に「感じて」いると悦びを謳う声が響く。 酔いしれた、人間であることを。 幸せ、だった。 痛みすら愛おしくてたまらない、素晴らしい感覚。 「……そうだ。世界中で誰よりも大切な。弟の為だ」 無理矢理作った笑顔を貼り付けてそっと頭を撫でる手に愛情が消えたわけではないことを教えてくれた。 まだ、僕を愛してくれるんだと歓喜する反面、興奮が凪いでゆく。 当分は続くだろう愛しき歪みに、内心ほくそ笑んだ。 鎧の身体の時には感じえなかったことを、全て感じたい。 貪欲な僕の心と身体を満たせるのはたった一人の兄さんだけだから。 ねぇ、どこまで付き合ってくれる? 「兄さん、大好き」 弟の顔で笑った僕に苦い笑みを返してくれる兄さんが、大好きだよ。 「feel love」H20.1.14